さて、霜多さんがハーブを作るようになって、もう一つの大きな出会いがあった。
ある朝、シモタファームに一通のエアメールが届いた。送り主は、イギリスに住むジョン・マナーズ卿。現在のイギリス王室の流れを引く名門中の名門貴族の一人である。
実はマナーズ伯爵はイギリスのハーブにおける第一人者であった。その知識を学びたいと思う世界中の人々の憧れの存在であり、霜多さんもその一人であった。以前に「日本のファーマーです、ハーブについて教えを請いたい」と手紙を出していたのだった。しかし待てど暮らせど、返事は来なかった。伯爵は誰にでも会って、ハーブのことを教えるわけではない。門前払いさせることもしばしばある、と霜多さんも聞いていたので、その朝も奥さんの由子さんと一緒に、あーあ、俺たちもやっぱりダメだったのかなあ、と話していたところだった。
農場にいる霜多さんのところへ、由子さんが慌てて持ってきた封筒をその場で開けてみると、「一週間後にランチをしよう」と書かれてあった。そこからイギリスへの旅の、怒涛の準備が始まったのであった。
チケットが間に合わずイギリス大使館にお願いしたり、由子さんの着物の着付けの準備をしたり、とにかく慌ただしい準備を経て、一週間後、霜多夫妻はイギリスのとある丘の上のお城にいた。そしてマナーズ伯爵と、まずウィスキーからはじまる、6時間にも及ぶ長いランチを共にしたのであった。
伯爵にはどんなことを教わったのですか、と聞くと、霜多さんは即座に
「ハーブの哲学」という。伯爵曰く「ハーブは人を健康にし、人の生活をより良くするためのものなんだよ、その哲学なんだ」
それから伯爵が亡くなるまで、ハーブを軸にした20年以上の交流がはじまった。
霜多さんがハーブの料理について学びたいといえば、すぐにフランスの、アラン・シャペルやポール・ボキューズ、ピラミッド、トロワグロなどを紹介してくれた。みなミシュランの三つ星がついた、超一流レストランである。
ハーブのことだけではない。時には自家用ヘリ(!)でゴルフやショッピングに連れて行ってもらったこともあったという。
日本の百姓で、セントアンドリュース(全英オープンを行うゴルフコース)でゴルフしたことあるの、たぶん、俺だけじゃないかなあ、と自慢するでもなく霜多さんは笑っていった。
なぜ伯爵は霜多さんにそこまで良くしてくれたんでしょうね? と問うと、霜多さんも不思議そうに、なんでだろう、俺、いつもこのままなんだけどね、という。
それに友達になったのは伯爵だけではない。その後、伯爵に紹介されたフランスのシェフたちとも霜多さんは友達になり、アラン・シャペルが亡くなった時は、そのお葬式にフランスまで行くほどの仲になった。
はるか東からやってきた日本のファーマーは、外国でも臆せず学ぼうとし、それがいかにも日本人離れしていて、彼らにはもの珍しかったのかもしれない。でも何より、その率直で、自然体の姿が、さまざまなジャンルの世界のプロたちに愛されたんだろうな、と霜多さんの語りを聞きながら、私はふと思った。
松本美枝子