喧嘩しつつも、「おしどり夫婦」という言葉がぴったりだった祖父母。二人三脚で箒をつくり続けてきた相方を失い、気丈だった青木さんはあっという間に小さくなって「もう職人を辞める」とまで言うようになった。
「私には介護の経験も知識もあったけれど、どうすればいいのか本当にわからなくて。でも、なにかしらしなきゃと思ったんです」
このままでは、おじいちゃんが寝たきりになってしまう。当時の早苗さんにできることは、1歳の息子を連れて祖父のもとに通い続けることだった。枕元に妻の写真を並べて寝てばかりいた青木さんも、孫とひ孫がやってくると起き上がるようにはなったという。
「息子に対して『これ、食うか?』みたいに話しかけたりして。聞けば嬉しそうに話をしてくれることもあって、その延長線上できびがら細工の手伝いをするようになったんです。その時は継ぐつもりなんてぜんぜんなくて、ただただ、おじいちゃんのためになにができるんだろう、という思いでした」
その思いの背景には、もうひとりのおじいちゃん、父方の祖父の存在があった。上京して介護の仕事をしていた20代前半、早苗さんは施設に入っていた祖父になにもしてあげられないままにお別れした後悔があったのだと教えてくれた。
「もちろんふたりは違う人だし、償いになるわけじゃないけれど。父方のおじいちゃんがいなくなって初めて、死んじゃうとなにもしてあげられないことを実感しました。だから、今度はできることは全部やろう、と。だからね、やっぱり自分のためなんですよね。おじいちゃんのためって言うと美談になっちゃうけど、自分が後悔したくなかったんです」