「実は昔からそうで。中学2年生の時も、ふと『なんで学校に行かなきゃいけないんだろう』と不思議に思ってから、突然行かなくなったことがあったんです。なぜかは今でもわからないんだけど。はっきりと覚えてるのは、全校集会で同じような姿形の人が並んでいるのを見て『なんか気持ち悪いな』と思ったこと。でも、誰もその理由を教えてくれなかったんです。私はなにかが気になると止まっちゃうし、意味がわからないと進めないんだと思います」
“意味”を見いだせなくなった仕事を辞めて降り立った東京で、早苗さんは偶然、介護の仕事に出会う。利用者たちと真剣に向き合い、共に成長していく仕事に、早苗さんは「天職だ」と感じたという。
「介護の仕事が本当に大好きでした。だから、結婚と妊娠を機に鹿沼に戻ってきたけれど、産後はすぐにでも介護の仕事に戻るつもりだったんです。それまでの間、おじいちゃんとおばあちゃんの家に顔を出して、買い物や梱包などちょっとしたお手伝いをしているような感じでした」
そこで、状況が大きく変わる出来事があった。祖母のタケ子さんが急死したのだ。
「本当に突然でした。でも、もっと驚いたのは、おじいちゃんがまったく起きてこなくなっちゃったこと。それまでは自転車でどこまでも行けるくらい、すごく元気だったんです。おじいちゃんは私にとってすごく大きな存在で、いつも私が守ってもらう側だった。それがものすごく小さく、子どもみたいになっちゃって」