青木さんと早苗さんが師弟として並んで座ったのは、たった2年間のことだった。いつものように「また明日」と別れた翌朝、青木さんはそのまま起きてこなかったのだ。
「もちろん悲しかったけれど、ようやくおばあちゃんのところに行けてよかったなって気持ちが強かったです。ただ、亡くなったのが、よりにもよって私が一番苦手だった寅の制作年。そこからはおじいちゃんのきびがら細工を見ながら、“私のきびがら細工”づくりが始まりました」
きびがら細工を伝える時、青木さんはいつも「自由にやっていい」と言ったという。発案者として「こうじゃなきゃいけない」という教え方はしなかった。青木さんと自分の作品を比べて悩む早苗さんに向かって、「そもそも俺が作ったものなんだから、決まりがないんだよ。俺のいいと思うものと早苗がいいと思うものは違うんだから」と話したという。
「まあそうだよなって私も思って、自分がいいと思ったらこれでいいんだと思えるようになりました。おじいちゃんを目指すんじゃなくて、自分の一番を目指せばいい、と。そう言い遺してくれたから、やりやすいですよね」
長年受け継がれて作り方がしっかりと決まっている鹿沼箒と、自由に形を変えられるきびがら細工。同じ材料から作られる対極的なふたつの作品づくりを、青木さん自身も楽しんでいたんじゃないかと早苗さんは言う。
現在、鹿沼市内にある「木のふるさと伝統工芸館」では、青木さんのつくった鹿沼箒ときびがら細工が展示されている。そしてお土産物として、早苗さんのきびがら細工も並ぶ。青木さんの勢いのある動物たちと、早苗さんのかわいらしいきびがら細工、ふたりが目指したそれぞれの「一番」を感じてみてほしい。