手伝い始めてみると、青木さんよりも周りの人たちのほうが「後継ぎができてよかったね!」と喜んだという。そこから徐々に、早苗さんのなかで「おじいちゃんと自分のため」だったものが、少しずつ変化していった。おじいちゃんの生み出した技術を自分が継ぐ、せめて次の誰かにつなぐまで。
「職人になれる自信はまったくなかったです。ただ、応援や期待をしてくれてる人がいるのに、やってもないのにノーって言っちゃダメだ、と思いました」
これまでも、小舟が水の流れのままに川を進むように、人生が開く方向に進んできたという早苗さん。この時も「目の前の道に進んでみたい」という気持ちで、青木さんに「継がせてほしい」と頭を下げたという。
「“やりたかったのに、できなかった人たち”がいるんですよね。箒に関しても、時代の流れが許さなかった人たちがいっぱいいた。そのなかで、私はたまたま機会をもらったのに、それを『やらない』は違うぞと思ったから。進路や就職に関しても、目標を立ててそこに向かうというよりも、『もらったものを生かさなきゃ』って思うタイプなんだろうなと思います」
戦後の大きな荒波のなか、箒をつくり続けたいと思いながら転職せざるを得なかった人、後を継ぎたいと思いながらもほかの仕事に就いた人が、きっとどこかにいた。彼らの前には開かなかった扉が、早苗さんの前には開いている。それを自ら閉じる選択肢はなかった。
「もう本当に瀬戸際なわけですよね。完全に消えてしまうのか、ほんの1ミリでもなにかを残せるか。大きい声で『私がやります!』と言えるほどの自信はないけれど、とにかくおじいちゃんに『継がせてください』と言ったんです」
祖父の返事は「そうか」と、そっけないものだった。それでも翌朝、早苗さんが工房に着くと、以前のようにしゃっきりと座る祖父の姿があった。隣に、早苗さんの分の道具もしっかりと揃えて。