「私、両親と一緒に寝た覚えがないんです。いつも寝かしつけてくれたのは、5つ上の姉か、おじいちゃんだった」
早苗さんの両親は、化粧品を中心に取り揃えた小間物屋を経営していた。早苗さんが幼い頃は、月に一度しか休みがないという働きっぷりで、「だから、私の育ての親はおじいちゃんとおばあちゃんなんです」と早苗さんは笑う。抱っこ紐を手にすれば、おばあちゃんのところに持っていくような子どもだった。
祖父母が箒を編む部屋の縁に座っては、ふたりの作業を見ていたという早苗さん。きびがらで遊ぶことも少なくなかったといい、それが今、職人になってからの「使いやすいものとそうじゃないものを選び取る感覚」につながっている。
「ここに穴を開けたら裂けちゃうなとか、これはきれいに曲がるなとか。普通は触ることのない植物だと思うから、それを小さい頃から触っていたのはよかったですよね」
しかし、早苗さんの人生はもともと、職人の道にはつながっていなかった。むしろ不器用で、ものづくりは苦手。両親の営む小間物屋の跡継ぎとして商業高校に進学、まずは雑貨の輸入業の会社に入社した。
商売人だった祖父や両親の素質を受け継いでいるのか、入社早々に社内トップの営業成績を叩き出した早苗さんだったが、ある時突然、両親にも言わずに会社を辞めた。その理由は「おもしろくないから」。感じていた小さな違和感が、彼女のなかで弾けた結果だったが、周りから見ると突然の方向転換。ほぼ家出のような形で上京した。