栃木県鹿沼市
2010年6月、ある職人の人生が幕を閉じた。彼が生涯をかけてつくり続けたものは、箒と、その端材で生み出したオリジナルの郷土玩具。時代の波により跡継ぎはおらず、彼の技術は一代で途絶えるはずだった……孫娘が戻ってくるまでは。これは、生きるためにゼロから民芸品をつくった職人と、その孫娘の物語だ。
最寄りのICから【E4】東北自動車道「鹿沼IC」を下車
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「おじいちゃんはね、本当は箒職人になりたくなかったんだって。学者になりたかったと聞いてます」
そう語るのは、栃木県鹿沼市の伝統工芸品「鹿沼箒」の職人だった青木行雄さんの孫、増形早苗さん。早苗さんもまた、箒をつくる職人だ。その後継については後ほど記すとして、まずは、早苗さんから聞く青木さんの人生を追いかけてみる。
「鹿沼箒」は、全国各地にある箒のなかでも大きく、派手な色使いも目を引く。一番の特徴は、「ハマグリ」と呼ばれる箒と柄を結ぶ部分。美しさだけでなく、ちょっとやそっとでは外れることのない丈夫で機能的なつくりも、江戸時代から人々を魅了し続ける理由だ。箒の材料「ホウキモロコシ/ほうききび」の種が江戸から持ち込まれ、箒づくりが鹿沼に根付いた。多い時で300軒以上の箒屋があったという記録が残っている。
早苗さんの祖父、青木さんもまた、箒をつくる職人家系の父と、箒の材料を育てる農家の母の間に生まれた。まさに箒屋になるために生まれたような環境だったが、後を継ぎたくない一心で電気会社に就職したという。ところが身体を壊し、結局は家業を継ぐこととなった。
「不器用で、工作の評価はいつも一番下。ものづくりも好きじゃなかったし、箒屋という仕事にも魅力を感じていなかったみたいです」