小野さんは、それまで感じたことのない緊張とともに壇上に立っていた。
小刻みに震えそうになる手を必死で抑え、マイクを握る。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。私どもの事業は......」
2018年3月11日、人口1万人ほどの小さな町で、初めてビジネスプランコンテストが開催された。副賞は、閉校する校舎の優先的利用交渉権。
小学校の教室2つ分ほどの小さな会場に、町長や銀行役員、住民ら30人弱が集まっていた。
「仕事柄、人前で話すことには慣れていたのですが、あの時は本当に緊張しました。もし校舎が使えなかったら、7000万円の借金をして新たに建物を建てると思うと......」
「小さな一歩だったけど、重要な一歩だった」と振り返る、飯綱町主催のビジネスプランコンテストで、小野さんが提案した「がっこうシードルリー」は最優秀賞を受賞。この瞬間、林檎学校醸造所プロジェクトが動き始めた。
「もともとビジネスプランコンテストの出場には消極的でした。それまで中小企業診断士としてビジネスの相談に乗る側でしたので、いまさら必要ないというおごりもあったかもしれません。でもいざプレーヤー側になってみたら、思いがあるからこそ、数分間の限られた時間のなかで事業の魅力や将来性、地域貢献への熱意を伝えることはすごく難しいと気づいたんです。周囲の勧めでその後出場したふたつのビジネスプランコンテストも含め、資料作りやプレゼンを通して自分たちの事業計画をブラッシュアップできたことは、コロナ禍でも順調に事業を成長させる助けになりました」
補助金の申請、醸造設備の導入、品質管理、在庫管理、オンラインストアの開設に、販売のオペレーション。事業計画が決まった後も、実際に製造・販売を始めるためには考えなければいけないことが山ほどある。
今回の取材の冒頭に言われた、「これまでの経験が、このコンパクトな空間に詰まっている」の真意はここにあった。
「導入した醸造機器をシードルの状態に応じて調整するには、機械を扱う知識や勘所が必要です。高校卒業後、半導体メーカーや商社で働いていた時に身につけた機械工具や電気系統の知識が、思いがけないところで役立ちました。ITスキルや中小企業診断士の経験も、すべてこの醸造所に生きています」