協会発足から1年がたち、イベントやSNSを通して地道に情報発信を続けていた2016年のある日、実家に帰省した小野さんに父親が困った様子でこう打ち明けた。
「シードルをつくれなくなった」
え!? 何事かと思って詳しく話を聞くと、シードルの製造を委託していたワイナリーが、機械の老朽化を理由に委託醸造の受け入れをやめるという。
小野さんの実家がピンチに直面する。
「協会を立ち上げたのはいいけれど、自分たちがシードルをつくる場所がなくなってしまったんです」
しかし、ピンチは新たなステージに進むチャンスでもある。
ワイナリーがシードル醸造の受け入れ停止を決めた頃、小野さんも委託醸造の限界を感じ始めていた。
リンゴの収穫は8月から始まり、11月頃に終わる。それに対し、シードルの委託醸造が始まるのはワインの醸造が終わる1月以降で、収穫が遅い時期のリンゴしか使えない。シードルをつくりたいほかのリンゴ園とスケジュールが重なってしまうことも課題になっていた。また、味わいも委託醸造先に一任する形になり、自分たちのこだわりを取り入れることも難しい。
「それなら、自分たちで醸造所を立ち上げよう」
2017年12月、小野さんは日本シードルマスター協会のイベントを通して知り合った長野県のリンゴ農家出身のふたりと、リンゴの名産地、飯綱町に「北信五岳シードルリー」を設立した。
同じ志を持ったメンバーと出会い、原料のリンゴを手に入れる算段もついた。が、ここでひとつ問題があった。
どこに、どうやって醸造所をつくるのか。
「北信五岳を望む見晴らしのいい場所にしようか」「リンゴ畑の真ん中もいい」
話し合いを進めるなか、「地元で活動したい。リンゴの町、飯綱町の一員になりたい」と考えていた小野さんは、自分たちの活動を知ってもらうため、地元である飯綱町の役場に醸造所立ち上げのプレゼンテーションに行った。
そこで伝えられたのが、飯綱町内の小学校の閉校だった。
「『食・農・しごと創り』をテーマにした施設に変え、閉校後も地域の人が集う場にしたい」という町の思いと、「地元の人たちに気軽に足を運んでもらい、シードルを身近に感じてもらいたい」という小野さんらの思いは重なるところが大きかった。経営面でも、既存の建物を生かし必要最低限のリノベーションで済む廃校は、初期費用を大幅に抑えられるメリットがあった。
小野さんの思いは固まった。