開墾は、きっと想像よりもずっと大変な作業だったのだと思う。「地獄だよ」と、やすさんは何度か笑った。ひたすら肉体労働の仕事をしてきた20代があったから、乗り越えられたのかもしれない。ただ、始めてみたら多くの人が手を差し伸べてくれた、とも振り返る。
「幼馴染が大工だったから、壊れかけのプレハブ小屋を厨房に作り替えてくれて。定年後にものづくりに目覚めた父も、テーブルや椅子を作ってくれたね」
2010年10月に食事の提供が始まってからは、さらに「この場所でなにか一緒にできないか」と訪ねてきてくれる人が増えたという。関わる人が増えるほど、SYOKU-YABO農園の設備や装飾、イベントごとも増えていった。
「もともとアーティストの表現の場になったらと考えてはいたんだけど、そんなふうに広がっていくとは、最初は全然考えていなかった。やっていくうちに『そうか、こうやって伝えていけばいいんだ』と思うようになったんだよ」
表現できる場としてSYOKU-YABO農園を使ってほしいと考えるのは、やすさん自身がアーティストとして生きてきたからだ。ライブハウスのチケットを自腹で支払いながら音楽活動していた10代の頃を振り返り、お金が絡むことで必然的に表現の場が限られていったと語る。
「90年代以降はカフェなどで演奏できるようになって、ノルマを気にせずに音楽ができる場所がたくさん増えた。それによって、表現者もわっと出てきたんだよね。でも、音楽の世界はオープンな場ができたけれど、他の世界ではまだそうじゃないから、彼らの表現できる場を作りたかった」
今では、アート作品にとどまらず、自主制作映画の上映会やヨガ教室、ギャラリーとしてのスペース活用など、多くの人々に場所を開いている。大小3つのステージと、500人は収容できる広大な敷地を使って、ウェディングやフェスなどのイベントも開催しているのだ。
「考えているのは、SYOKU-YABO農園がみんなの舞台や職場になったらいいなっていうこと。ここでウェディングができればプランナーの仕事になるし、イベントをすれば企画した人の職場になる。それで相乗効果が生まれるのが一番いい。自分で仕事を見つけたり、作ったりしていくのがおもしろいし、成功事例をどんどん作っていきたいと思ってるんだよね」