やすさんの幼少期を聞くと「お調子者」と返ってきた。なかでも、小学校5年生の誕生日にマイ・フライパンを買ってもらったエピソードが、彼の原点として際立つ。
「家のキッチンに小さな出窓みたいなスペースがあって、母が料理している間はそこに座って料理するのを見ていたんだ。そのうち、自分でもピーマンのヘタや人参の皮をもらって味付けしたりし始めた。そうしたら母親が『こんなにおいしいの食べたことない』とか言うから、マイ・フライパンがほしい! ってね」
母は子どもの誕生日プレゼントが自分の家のフライパンになるのを喜んで、張り切って買いに行ってくれたという。フライパンを買ってからもなにかを作るたびに、おいしい! と言われていたんだろうな、と想像する。
「俺って料理の天才なんじゃないかと思って、それから料理はずっと好きなんだ」
やすさんが料理に興味を持ったのは、家族みんな食べることが好きだったこともある。中国で働いていた祖父が現地で学んできた餃子をふるまう「餃子の日」には、皮から手作りした餃子がテーブルに並んだ。おかずとしてではなく“餃子だけ”を食べる会は、友達も呼んで賑わう日だったという。また、父親も、休みの日には手作りカレーを仕込むような料理好きだった。
「家族が料理を作っている時の匂いや音、1日をかけての佇まいも見ていて、料理に対して憧れみたいなものがあったかもしれない」
マイ・フライパンを手に入れた少し後、やすさんの人生を大きく変えた、もうひとつの出会いがあった。ふたつ上のお兄さんの影響で始めたギター。RCサクセションの『雨上がりの夜空に』のイントロが弾きたくて、コードDだけをひたすら練習していたという。
「中学1年の文化祭で、兄貴が出た発表を見にいったんだけど、バンドマンたちが女の子みんなからキャーキャー言われてた。中1の俺たちは『バンドってこんなにモテるんだ!』って衝撃を受けたんだよね。翌日から早速みんなギターを始めるんだけど、俺はもうDが弾けるから。それで一気にクラスのヒーローになっちゃった」
そこからは毎日何時間もギターばかりを触っている日々。母親にいくら怒られても勉強に身が入らず、音楽のことしか頭にない青年へと成長していった。
「自分ってすごいんだ、と思えることが見つかると嬉しくなるじゃん。で、それを頼りに生きてたりする。俺の場合は、それがギターだったんだよね」
フライパンをギターに持ち替えて、やすさんは自分だけの道を突き進んだ。