30代になってから、やすさんは食の世界で仕事をしていた。さまざまな仕事を経験した上で、これから自分自身はどう生きていこうかと考えていたとき、知り合いから「食のリサーチの仕事をしてみないか」と頼まれたのだ。それまでもずっと料理は続けており、食に関する興味は薄れていなかった。変わらず続けていた一人旅と並行して、日本全国の食文化、食材や伝統料理について調べるなかで出会ったのが、各地の食と農業だった。
「徳島県の畑で『ほうれん草があるから食べてみ、おいしいから』って言われたんだけど、どこにほうれん草があるのかもわからない雑草だらけの畑で。でも、確かにほうれん草があって、それがもうめちゃくちゃうまくて。野菜ってこんなにうまいの! って衝撃だったんだよ。同じように、伝統調味料も本当においしいものが日本にたくさんあることを知って、これこそ日本の宝じゃんって確信したのを覚えてる」
20代の頃に出会った人たちとは、また違う形で自分たちを生かす存在。そんな「食」の奥深さに、どんどんのめり込んでいったやすさん。各地の斬新な郷土料理にも驚かされてきたと話す。
「例えば、富山県で食べた、古漬けにした大根を油で炒める『いりごく』や、茹でた葉物を味噌などで炒める『よごし』。ある町の民家でおばあちゃんに食べさせてもらったんだけど、すごく味がとがっててびっくりした。こういうものを広めて、残していくことが、日本にとって一番美しいことじゃないかと思うようになったんだよね」
また、生産者の話を聞くうちに農業のおもしろさも感じるようになっていくが、それと同時に、規格外の野菜が流通できないなどの理不尽な課題も知って、世の中に対する疑問も湧いてきた。「なにかを変えなければ……」と勉強をすすめると、同じ農業のなかでもやり方の違いで批判し合う人たちに違和感を抱いたという。
「世の中にある、いろんな差別と似てるなって思った。農家だって、生きるために農薬を使っているのかもしれないし、流通のほうに問題があるのかもしれない。そういう背景を無視して、農薬が悪だ、肥料をやっている野菜は最悪だ、みたいなウルトラマン的な“正義と悪”を作り出す発想はすごい嫌だなって」
混沌とした世の中で「日本の宝」を守っていくためにできること。やすさんの答えは「食べてもらう」ことだった。
「バナナの叩き売りと同じで『まあ、まずは食べてみて。こんなに素晴らしいもんなんで』って紹介人に徹する。食べて『おいしい』と思った時に『この野菜、実はさ』とか『この調味料は……』みたいに話したほうが、 人って聞きやすいじゃん」