石黒種麹店は江戸時代後期に麹作りをはじめ、明治に入ってから種麹を作るようになった。富山は麹県とも呼ばれるほど、麹文化が残っている地域だ。富山県だけでももともと120軒ほどの麹屋があり、今でも70~80軒は残っている。
「昭和30年代後半くらいまでは、みんな家で味噌作りをしていましたね。今でもこのあたりの人はかぶらずしを作るのに、麹で作った漬け床を買いにいらっしゃいます。福光はかぶらずしの消費量(人口比)が日本一なんですよ。こちらはね、金沢のかぶらずしと違って、中にサバを挟むんです。富山の氷見ブリは有名ですけど、ブリは高価なものでしたからね。今でも富山ではサバを挟みます」
そう教えてくれるのは、石黒種麹店の石黒八郎さんだ。日々の麹製造のほかに、講演会や味噌作りの講座、テレビやラジオなどでも活躍している。麹作りに対する真面目で一筋な姿勢に胸を打たれる一方、冗談ばかり言って笑わせてくれる個性的な人柄が魅力的な方だ。なにせ開口一番、
「麹屋なんてね、むかしは高齢者のためのお店だったんですよ。それが、塩麹ブームのおかげでお若くて美しい方まで麹をお求めに見えるようになって。麹の力で素敵な方が増えればね、わたしとしては嬉しいばかりですよ」
などと石黒さんは笑いながら言うのだ。
たしかに塩麹が流行してからというもの、街のスーパーでも麹を見かけるようになった。
塩麹とは、麹と塩と水を混ぜて、常温で置いておくだけでできあがる調味料だ。東北地方の伝統的な漬物である三五八漬けの漬床がルーツと言われていて、肉や魚を漬けておくと、柔らかくなったりくさみ消しになったりする。おいしいだけでなく誰にでも簡単に作れるところが利点で、一気に火がついた。
はじめて塩麹が紹介されたのは、漫画雑誌「モーニング」と「イブニング」で連載されていた、『おせん』(きくち正太著)という料亭を舞台にした漫画である。日本テレビでドラマにもなり、レシピが紹介されたことで広く認知された。思い返してみれば、それがこんにちに続く発酵ブームの一端を担っているのかもしれない。