北陸新幹線を新高岡で降りると、小雨が降っているせいもあって東京よりぐっと寒かった。ダウンジャケットにしてよかった、と思いながら、城端線のホームに向かう。石黒種麹店はここから40分ほど電車に乗った「福光」という駅の近くにある。もとは福光町だったが、2004年に富山県南砺市として合併された。
福光は、幕末までは加賀藩領だったという。加賀藩の蔵米(倉庫に貯蔵したお米)の集散地でもあり、生糸や麻布の生産地としてもかなり栄えていた。酒屋や醤油屋、味噌屋などもぎっしりと並んでいたそうだから、きっと人が集う賑やかな街だったのだろう。
その面影が残る街並みの中には、戦時中家族でここに疎開してきた版画家・棟方志功ゆかりの場所がさまざまある。志功には福光への強い思い入れがあり、偉くなったら福光駅に大きな石碑を建てたい思っていたそうだ。2008年にはその願い通り、駅前にその功績を称える石碑が建立された。
題字は、志功と親交の深かった作家・谷崎潤一郎が書いた。少し行った先にある小矢部川の橋のたもとにも、版画入りの石碑が建てられている。
しばらく行くと町家が連なる通りに入り、「麹」という大きなのれんが見えてきた。ここが北陸で唯一となった種麹屋、石黒種麹店だ。種麹とは、いわば麹の素である。
むかしはたくさんの種麹屋があったらしいが、今は日本中数えても10軒に満たない。これはのちに石黒さんに聞いてわかったことだけれど、種麹の作り方は秘伝で、石黒さん本人も先代から聞き、これを受け継ぐ人にしか教えてはならないという一子相伝の家訓があるそうだ。
その伝統を受け継ぐものが少なくなって、廃業する店が増えた結果なのだろう。日本中で生産される、麹が必要なありとあらゆるものの製造を、わずか数軒の種麹店が支えている。そのことを改めて思うとすごい。