未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
153

山梨県富士吉田市

日本人の心を癒やし、外国人観光客を魅了する富士山。人々が頂上を目指して登る富士山を、かつては信仰のために登る人々がいた。彼らのために自らの家を開き世話をした、富士山の麓の「御師(おし)」という存在を、知っているだろうか。

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.153 |10 January 2020
  • 名人
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山梨県富士吉田市

最寄りのICから【E68】中央自動車道(富士吉田線)「富士吉田IC」を下車

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#1富士山の麓で栄えた「御師」という存在

日本一の山、富士山。天気が良い日であれば、その美しい姿は都内からでも拝むことができる。富士山が見えると「なんだか良い日だ」と思うのは、私だけじゃないはずだ。また富士登山は、日本人のみならず外国人観光客にも人気のレジャーで、毎年夏になると大勢の登山客で賑わう。

そんな富士山が、かつては「信仰の対象」であったことを、ご存知だろうか。

富士山を拝み、毎年選ばれた数人が富士山を登拝することで祈りを届けていたのは「富士講」と呼ばれる団体だ。室町時代から、江戸を中心に広まっていった富士信仰は、電車もバスもない時代に人々を徒歩で富士山まで向かわせた。

そして、各地からやってきた富士講の人々を、麓で迎え入れた「御師」の存在。自らの家を開放して、富士登山の準備などを手伝い、さらには家の中に作った御神前において祈祷をおこなったという。

「御祈祷師」を略して「御師」と呼ばれるようになった人々――

富士山を見るたびに身近なものだと思っていたのに、そんな歴史があることを私はまったく知らなかった。信仰自体が遠い存在にもなりつつある現代、まるで映画や小説に出てきそうな御師の話だが、実際にまだ富士講も御師も存在している。

御師とはどのような人たちなのか。そして、御師の町とはどんな場所なのか。インターネットでわかる情報は少ない。私は富士山の麓、上吉田に向かった。かつて富士山を目指した富士講の人たちのように。

町中に突然現れる大きな鳥居。この先に御師の町があった
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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。