金鳥居の先に続く一本道の両側に、御師の家々が並んでいる。
なぜ、御師の家だとわかるのかと言えば、石柱と名前の書かれた提灯が並んでいるからだ。提灯は近年、市が観光客向けに御師の家を紹介するパネルとともに作ったもので、それらの家がかつては実際に御師として活動していたのは間違いないが、現在は一般の住居として暮らしている家が多いそうだ。
さらに御師の家の特徴として挙げられるのが、「タツミチ」と「ヤーナ川」。
たくさんの人を迎え入れるために大きな敷地を必要とした御師の家は、大通りに面しておらず、細い道の先にある。その細長い道が「タツミチ」だ。家によってはタツミチが長く、提灯がなければ御師の家があるのかもわからないほど。
タツミチを進んだ先、御師の家の前を流れているのがヤーナ川と呼ばれる水路。富士講の人々はここで身体を清めてから御師の家に入っていったそうだ。
ちなみに、古くから御師をしていた「本御師」とは別に、富士講が爆発的なブームとなった江戸時代中期頃に御師となった「町御師」と呼ばれる家もある。彼らにはタツミチやヤーナ川がなく、家も比較的に小さめ。そんな歴史を知っているだけで、単なる一本道が、発見だらけの場所になる。
御師の家々を眺めながら歩いていると、タツミチの先の紅葉がきれいな屋敷に辿り着いた。「旧外川家住宅」だ。