2013年までは富士講の人を受け入れていた菊谷坊。宿坊という形で観光客を受け入れてから、訪れる人のほとんどは外国人観光客だ。
「できるだけ今のまま建物は残して、当時の歴史や雰囲気を感じてもらいたいですね。ただ、トイレやお風呂、洗面台などは新しくして、海外の方でも快適に過ごしていただけるようにしました」
そんな話をしているところへ、ちょうど宿泊していたお客様が。ロシア、ウラジオストクからやってきたオリガ・ブルジナさんとイリア・ブルジンさん。お話を伺うと「どうしても、ここに泊まってみたかったんです」と、興奮した口調で流暢な日本語が返ってきた。
「インスタグラムで上吉田を見つけて、こんなに歴史がある建物に泊まれるのかと驚きました。夫は日本のお風呂は初めてでしたが、とても良い経験になりました」
オリガさんは、ロシア人観光客を日本でアテンドするツアーガイド。今回は、そのツアーに組み込めそうなところを旦那さんと下見がてら回っているのだという。
「次のツアーで、ぜひ団体で訪れたい。連絡します」
連絡先を交換する真一さんは、嬉しそうだった。富士講の人々が押し寄せた御師の家に、今度はロシアを始めとした外国人観光客が殺到するかもしれない。
宿坊を始めてから、まだ数ヶ月。これからの展望を聞くと、家に残っている御師の資料を展示するスペースを作ったり、庭をきれいに整えていきたいという真一さん。飲食スペースを作って、朝ごはんを提供したり、夜はバーのようにして観光客と地域の人とが交流する場になれば、と語る。
「上吉田エリア全体が『御師の町』として知られて、観光客で賑わうようになったらいいなと思っています。そのために、まず自分ができることが宿坊です」
400年前には、多くの人々が訪れた「御師の町」。今では知らない人のほうが増えてしまったこの場所が、改めて御師の町として賑わう観光スポットになる日が、きっとまた来る。大鴈丸さんや秋山さんを見ていて、そう感じた。
私はまだ富士山に登ったことはないけれど、登るときは御師の家にお世話になりたい。祈祷はなくとも、400年前に富士山を拝み、祈り続けた富士講の人たちの力を借りられるような気がするからだ。
心配していた雨は止んだものの、一日中曇り空。結局、最後まで姿を見せてくれなかった富士山を振り返る。今度は富士登山の準備をして、登り切る覚悟を決めてやってこよう。そのときには、富士山も顔を出してくれるのではないだろうか。