「小さい頃から自分が御師だと意識したこともなかったけど、おじいちゃんから『お前は18代目御師なんだよ』って言われたことが、ずっと頭に残っていて。このままだと御師がいなくなってしまうと思ったときに、残していきたいという気持ちはありました」
それでも今は、御師が職業として成り立つ時代ではない。一志さんは、東京で木工を学んだあと木工所で数年働いた。木工との相性の良さを感じ、本格的に木工に取り組める場所を探しながら、日本全国を旅したという。
「そこで地域のために活動する多くの人に出会ったんです。刺激を受けて、自分も地元のために何かしたいなと思うようになって帰ってきました」
実家の近くで工場を借りて木工の仕事をする傍ら、実家をどうにか再生することはできないか、と考え続けていた。ゲストハウスという形であれば、観光客を迎え入れながら、御師の文化を紹介することもできる。ただ、そのためには建築基準法に合わせて、かなり大掛かりな改修が必要だった。
そんなときに出会ったのが、奥さんの奈津子さん。大阪出身の奈津子さんは、山梨で有機農業に取り組んでいた。奈津子さんも、いつかゲストハウスができたら、という構想を持っていたという。
「彼が御師だとは知っていたけれど、富士信仰や御師のことをあまり知らない状態で結婚したんです。出会ったときは長いドレッドだったからか、あまり固いイメージもなくて」
確かに、ドレッドヘアーの若者と祈祷師の姿はあまり結びつかない。外国人観光客に「その髪型も御師特有のものですか」と聞かれたことがあると、ふたりは笑った。
その後、市からの補助金やクラウドファンディングなどを活用しながら、半年かけて改修。一志さん自身が多くの部分をセルフリノベーションし、もともとの家の良さを生かしたまま、ゲストにとって居心地の良い空間を作り出した。
「古いものは簡単に壊すことはできても、もう一度作ることはできないですからね」
木工を愛する一志さんだからこそ、年月を経た物の価値がわかるのかもしれない。多くの人が敷居をまたいだ御師の家も、御師の文化やひとつ屋根の下で過ごした思い出も、誰かが残していかなければなくなってしまうのだ。