さて、駿河雛に弟子入りした小佐畑さん、最初の一週間はずっと正座させられて、親方や他の職人さんたちの仕事を、ただただ見させられるだけだった。「職人は仕事を目で盗んで覚えろ、とよく言いますが、まずはそれで、やる気があるのかどうかを、見ていたみたいです」と笑う小佐畑さん。じっと動かずに作業を見るだけの一週間は大変だったけれど、残りの2年間はやってみたくて仕方がなかった雛人形作りを、どんどん習って覚えていくだけだったので、何も辛いことはなかったという。
修行は楽しかったが、雛人形は時期ものの仕事なので、11月から1月の間は、問屋さんに納品するために、徹夜の制作が続いたそうだ。納品のシーズンがすぎれば、休みの日には、親方が釣りに連れて行ってくれることもあった。「仲の良いお兄ちゃんという感じです」という親方には、今でも年に一度は会いに行くという。
2年間の修行を経て、地元に戻り、祖父や母と雛人形作りをすることになった。店に戻ってきた当時は祖父が他店への雛人形製作もやっていたのだが、14年前に小佐畑さんが店を継いでから、思い切って、店のスタイルを変えることにした。他店への雛人形製作をやめて店で売る雛人形だけを作ることにしたのだ。良い素材を使い、大量生産ではなく手間ひまをかけた、自分が目指す雛人形だけを作りたい——そんな思いからの決断だった。だがそれによって、直後は売り上げが大きく落ち込み、店の方針をめぐって母親とケンカすることもあったという。
しかし、大量の注文をさばかなければいけない他店への雛人形製作をやめたことによって、次第に小佐畑さんは、自分が本当に作りたい雛人形の制作に集中できるようになっていった。小佐畑さんの雛人形は、所作と着物の美しさが際立っている。特に各地から取り寄せた生地の伝統的な文様や色合わせを研究し、そこに秘められた意味を、雛人形の姿に反映させているのだ。その造形美と世界感は、単なる節句品としてだけでなく、美しい美術品として、やがて幅広いファンに愛されていくようになるのである。
松本美枝子