「桂雛」を始めた祖父と、その後を継いで人形師として働いていた母親の姿を見て育った小佐畑さん。「私は次男だったので、人形店を継ぐつもりは全くなかったんですよ。都内の大学に進学して、工学部で電気工学の勉強をしていました」
25年ほど前、家業とは離れ、東京で学生生活を送っていた小佐畑さんに、ある日、桂村の母親から連絡が入った。雛人形の見本市のために上京するから、そのついでに一緒にご飯を食べよう、という連絡だった。
何の気無しに出かけて行った、という小佐畑さんは、見本市を見ているうちに「ある雛人形の前で立ち止まってしまった」という。有名な女流人形作家によるその作品は、男雛と女雛が斜めに向きあっただけの、当時としてはとても珍しいスタイルだった。その頃は豪華な段飾りが主流であり、男雛と女雛は正面を向くのが当たり前だった。そしてなんといっても、着物の色使いが斬新だった。
「自分もこんな雛人形を作ってみたい」
そう思った小佐畑さんは早速、祖父と母に気持ちを打ち明けた。びっくりしたのは店を継いでいた母である。「人形師になるなんて、とんでもない」と強く反対された。祖父は「どうしてもやってみたいと言うのなら、人形といってもさまざまな種類があるから、まずはいろんなものを見てみたら」という。その夏休み、桂村に帰った小佐畑さんは、さまざまな人形を見たり、祖父が作った雛人形を解体したり、自分なりに雛人形の歴史を調べたりするうちに、自分がやりたいのはやはり雛人形作りだ、と悟った。
人形師になるなら、できるだけ早いほうがいい。こう決意した小佐畑さんは母を説得して、すぐに大学を中退し、静岡の「駿河雛」の親方に弟子入りしたのであった。
松本美枝子