神奈川県横浜市
「日本三大寄せ場」の中でも、あまり知られていない寿町。日雇い労働者が暮らす街と言われてきたが、高齢者が暮らす街へと変化している。とあるニュースは言う。「寿町は危険な街ではなくなった」それを聞いた人は言う。「とは言っても危険でしょ?」
実際のところ、どうなのか。ぼくは、寿町の今を知るべく歩き出した。
最寄りのICから首都高速狩場線「新山下IC」を下車
最寄りのICから首都高速狩場線「新山下IC」を下車
その日は、あいにくの雨だった。
寿町の軒先で雨宿りをしていると、クタクタにくたびれたシャツを着たおじいさんが杖を突きながら近づいてきた。そして、こう話しかけられた。
「金沢教会を知っているか……」
その先は聞き取れなかった。苦しまぎれに「金沢市じゃなくて、金沢区の金沢でしょうね」と言葉をつなぐ。ぼくの言葉が届いているかどうかは分からない。おじいさんは下を向いてポケットをまさぐっていた。そして、しわくちゃになった紙を取り出して広げて見せた。そこには、「炊き出し」のスケジュールが載っていた。
月、
火、
水、
木、
金、
土、
日、
毎日だった。曜日によって「おにぎり」「パン」「スープ」と質素な品目が書かれていたが、日曜日は「お弁当」「カレー」と少し豪華である。複数の団体が持ちまわりで炊き出しを行っているようだが、その中のひとつに「金沢教会」という名前があった。
「これは助かりますね」
「いいよな」
「よく行くんですか?」
「きょうは金沢教会なんだよ」
「ほんとですね」
「さなぎ達だって」
「え?」
「この紙、さっきもらったんだよ」
その紙は「NPO法人さなぎ達」が配っているようだ。右端にそう書いてあった。
「そこの通りに“さなぎの食堂”という所がありましたよ」
「どこだ」
「あそこを曲がってすぐです」
「あったっけな」
「300円って看板に書いてましたよ」
「300円か」
おじさんは、再びポケットを探ると小さな紙を取り出した。割り箸の包装紙だった。
「おれはここでよく食べてんだ」
「どこですか」
「ほら、あそこ」
「どこ、ですか」
「あそこだよ、あそこに弁当って書いてあるだろ」
指差す方向を追いかけて見ると、「お弁当」と書かれたのぼりがあった。ぼくの食いぶちを心配してくれているのかもしれない、と、そのとき気づいた。
「うまいよ」
「うまいですか」
「これ、もってきな」
割り箸の包装紙を受け取った。そして、またポケットをまさぐる。取り出したのは煙草だった。日本では見たことがない煙草だ。そして、ぼくに一本、差し出してくれた。
「吸うか」
「珍しい煙草ですね」
パッケージを見せてもらうとインドネシア製の煙草だった。「ぼくの煙草と交換しましょう」とカバンから取り出すと、「いいんだよ」と笑顔で断られた。ぼくらは黙って火をつけあった。
それは、インドで吸ったビリーのような味がした。少し突っ張った雑な味がするのだが、アジアを放浪していたときの記憶が蘇る、ぼくには懐かしい味だった。いや、懐かしいと思うのは、このやり取りのような、邂逅とでもいうような時間のほうかもしれなかった。
「おじいさんは何歳ですか」
「70だな」
「じゃあもうお仕事は引退ですね」
「ああ」
「長い間お疲れさまでした」
そう言うと、今度は、ポケットから一冊の本を取り出した。そして、「この本がいいんだよ」と表紙を向けた。
タイトルは「しあわせになれる“はたらきかた” 」だった。
武田双雲のその本は、ぼくも読んだことがあった。そう告げると、「そうかそうか」と嬉しそうに笑った。どうして、その本を手に取ったのだろう。どうして、ぼくに見せてくれたのだろう。それは聞かなかった。
先に煙草が燃え尽きたのは、おじいさんの方だった。「じゃあな、ありがとうよ」そう言って踵を返す。話を聞いてくれてありがとう、という意味なのだろうか。「こちらこそ、ありがとうございます、煙草も!」そう言うと、振り返らずに右手を上げた。ぼくはその背中を見送った。
雨は上がっていた。
ライター 志賀章人(しがあきひと)