「……とは言っても危険なんでしょ?」そう言われたら、中路さんはどう答えているのですか?
それは、ぼくの最後の質問だった。
「“来てごらん”って言いますね。まず見てちょうだいと。そして、この街を知っている人から説明をしてもらってください、と。路上で酔っぱらって寝ている人がいるというのは、街のごく一部の情報だから。それだけではなくて、この街に生かされている人がいることも確か。街だけでなく、何事にも色んな面があるからね」
いくらきれいな都会であっても、病気になったときにいつでも十分な医療を受けられるわけじゃない怖さがあるのも事実。ある意味では、寿町のほうが恵まれていると言えなくもない。
「情報は立場によって変わります。人を呼び寄せようと思えばいいことばかり言うし、遠ざけようと思えば怖いところだよ、近寄っちゃダメだよって言うでしょ。結局、聞いた話が正しいかどうかは、本人が判断しなくてはいけないわけですが、来て、見て、聞けば、少なくとも一面だけの理解じゃなくなりますよね」
寿町を真面目に知りたいという人には、できるだけ協力しますよ。そう笑顔で話してくれる中路さん。
「だいたい、耳に届く情報にいい話はないんだから。『あの人はいい人だよ』という情報はなかなか伝わってこないけど、『あの人はクセがある人でさ』という悪口はすぐ伝わる。そのほうがおもしろいし話題性もありますから」
それが自分についての評判だったらどうだろう。他人の情報ばかりを鵜呑みにしないで、会いに来てほしい、自分の目で見てほしいと思うはず。ぼくが寿町を通して漠然と書きたいと思っていたこと、そのすべてを中路さんに語ってもらった気がした。
こうして、ぼくが文章にしている情報もまた、ひとつの見方に過ぎない。
あるいは、ぼくがこうして書いたりしなければ、寿町を知らない人が、寿町を色眼鏡で見ることもないのかもしれない。黙っていれば、寿町を知らない人が増えるのに、ぼくは、勝手に事を荒立てて、また新たな偏見を生み出してしまうのかもしれない。それでも書かずにいられなかったのは、「危険だから寿町には近づくな」と言う人がいたからだ。
たしかに、寿町は物見遊山で旅するような街じゃない。それでも、自分の目で確かめようとする旅人を、両腕で制止するような人もいない。「危険だ」という言葉の多くはパソコンの向こう側から、過去のイメージを引きずったまま聞こえてくる。「危険かどうか」より問題なのは「偏見かどうか」なのだ。冒頭で、おじいさんに話しかけられたとき、ぼくはやはり警戒していた。10年前に刻まれた偏見のせいだろう。しかし、その誤解は話をしているうちに溶けていった。おじいさんが溶かしてくれた。
抱いていた街のイメージが塗り替えられる。それこそが、旅の醍醐味でもある。「危険だから寿町には近づくな」と言う人も、この記事で寿町を知って何かしらのイメージを抱いた人も。実際はどうなのか、確かめてみてほしい。どちらの場合であっても、イメージは必ず塗り替えられるはずだ。それが寿町を旅する魅力と言えるかもしれない。なにも寿町のために旅をする必要はない。横浜中華街を旅した際に、ふと、寿町を思い出す機会があれば、ついでに歩いてみる。それくらいの旅があってもいいのではないか、と、ぼくは思う。
ライター 志賀章人(しがあきひと)