「寿生活館」は寿町の黎明期から現役で使われている建物である。現在は、1階は保育園、2階は自治会関連施設、3階は女性と子供の利用施設。4階は路上生活者や簡易宿泊所宿泊者のための会議室や娯楽室のほか、無料で使えるランドリーやシャワー室もある。少し大げさだが「九龍城」を思わせる趣がある。
「今年の夏祭りは、生活館で育った卒業生のバンド“Kotobu☆Kids(コトブキッズ)”が4階でライブをしてくれたんです」
その言葉を皮切りに、寿町の歴史から現在の様子まで詳しく話してくれたのが、寿町勤労者福祉協会で働く中路さん。
ぼくがこれまで「寿町」と呼んできたのは、正確には「寿地区」のことであり、寿町だけでなく松影町、扇町、長者町、三吉町にまたがっている。これら寿地区の人口は約6,000名で、60歳以上の高齢者が約7割。それも、ただ高齢化が進んでいるだけではない。後期高齢者になってから新たに転入する人が増えている。
現在では医療や介護などのサービスを受けている人の数は、住民の約半数にのぼると言われるほど。足を悪くしている人が目立つのも、日雇い労働で怪我をしたというよりは、そういう怪我をした人に身寄りがないと、これまで住んでいた地域で暮らしていけなくなって、支えを求めて寿町にやってくるというケースが多い。
「ここには医療や介護をする人も、炊き出しをする人もいますから。いろいろな支援のネットワークで、一般の社会で支えきれない人を受け入れて支えている。客観的に見れば、今はそういう役割を寿町が果たしていると思います」
簡易宿泊所も、新しいところではホテルのような佇まいのところや、バリアフリーに近いところもある。いわゆる3畳ではなく、エレベーターから車椅子ごと入れて、介護ベッドが入れられる部屋も増えている。「木楽な家」という高齢者の娯楽施設や、「クリーンセンター」という障害者の就労先もある。
過去には、日雇い労働者がお酒を飲んで暴れることもあれば、労働者を狙う強盗団なども存在した。その様子から「危険地域」と見られていた。現在は、旅人が危険に巻き込まれるような事件は起きていない。警察も言っている通り、そういう事件の発生率はほかの地域と変わらない。ただし、ノミ行為は依然としてあるし、アルコールやギャンブル、クスリの依存症者にとっては誘惑も多く、決して環境が良いとは言えない。
「昔のような怖さはないけど、怖さの原因となるファクターはいまだにある」
それでも、と中路さんも言う。
「介護の女性ヘルパーさんが、ひとりで患者を訪問してまわれる街にはなった」
この言葉が、最も今の寿町を言い表しているように思う。
ゴミが消えた理由についても分かったことがある。「ゴミ」と言っても、空き缶や吸い殻だけではない。10年前は、壊れたテレビや家具、自動車まで、外から持ち込まれた不法投棄も多かった。
「キーとなったのは“プランター”ですね。不法投棄をなくすためにどうするか、地域と行政が額を寄せあって考えて、地域の人たちが『この街の人たちは物を育てたりするのが好きだから、プランターでも置いてみない?』って言ったんですよね。行政からは『いやー、そんなんじゃ、上からどさっと置かれておしまいだよ』なんて言う意見も出たんだけど、まぁ、やってみようかと。そうしたら、上にどさっと置かないで、隙間に置いていった。それなら、と、ゴミをどけて隙間なくプランターを並べていった。最初は20個ぐらいだったプランターが、今では約500個あります」
簡単な発想のようにも思えるが、その効き目にぼくは驚かされたわけである。「花いっぱい運動」と名付けられたこの活動は、山谷など他の地域にも広がってる。
ライター 志賀章人(しがあきひと)