横浜市中区にある寿町は、大阪の釜ヶ崎と東京の山谷に並ぶ「三大寄せ場」のひとつ。
わずか300メートル四方に124軒の簡易宿泊所(通称ドヤ)が建ち並んでいる。かつては日雇い労働者が暮らす街であり、荒くれ者による喧嘩は日常茶飯事。しかし、その人間らしい生き様は数々のドラマを生み、「どっこい! 人間節 寿・自由労働者の街」というドキュメンタリー映画も撮影された。ぼくは、そのドラマにどこか心惹かれる気持ちがあった。
人間らしい。それは、ある意味では「ふつうの暮らし」に馴染むことで失われていく感情なのかもしれない。たとえば、大企業に勤めながら何不自由なく暮らしていても、ふと、自分には別の人生があったように思える瞬間がある。「ふつうの暮らし」を守るために、どこか自分の感情を押し殺しているような気がしてくる。そのとき、ふと、そのドラマが、その純なるものが、輝いて見えるのだ。もっと彼らのように、感情のまま、ありのままに生きられたらと。それこそが、人間らしい「ふつうの暮らし」なのではないかと。もちろん、そんなキレイごとだけで片付けられないことは分かってもいるのだが……。
ぼくは、横浜の大学に通っていたこともあり、10年前に「寿町」の存在を知った。そして、おっかなびっくり訪れてみた過去がある。そのとき目にした光景は「危険」と言われるそれだった。
路上で酔っぱらって寝転んでいる労働者たちが、あたり一帯に散乱するゴミの山々が、物理的にも精神的にも足をすくませる。その瞬間、黒塗りの車がドスのきいたクラクションを鳴らして走り抜けて行く――。先入観がなかったとは言えない。しかし、駆け込むようにコンビニに入ったとき、そのすぐ右手に「成人雑誌」が並んでいたことをよく覚えている。ふつうは女性誌があるはずのところだ。寿町はそういう人が暮らす世界なのだ、そう結論して逃げ帰った。
しかし、それから10年が経ち、偶然にも再び寿町を通りかかったぼくは、「あれ?」と不思議に思った。ずいぶん様子が違うではないかと。酔っぱらって地べたで寝ている人がいない。ゴミもない。黒塗りの車も見かけない。
その代わり、目に見えて増えていたのが老人たち。足を悪くした人が多いのか、杖を突く人や、車椅子の人が目立つ。ただ、その後ろでは車椅子を押す女性や若者たちが元気に動きまわっている。殺伐とした空気はずいぶんと薄まって、穏やかな風が吹いているように感じた。
これはどうしたことだろうか。見た目では分からない、その裏側でどんな変化が起きているのか。ぼくは、それを知りたいと思った。
ライター 志賀章人(しがあきひと)