「ヘイ!ヘイ! ホワット カンパニー!」
「German!」
「なに?」
「German!」
「ソーセージ!」
カンパニーじゃなくてカントリー、などと突っ込む必要もない。ちょっとしたコミュニケーションは成り立っているようで、西洋人のバックパッカーとおっちゃんたちが世間話をしている姿も見られる寿町。日本では珍しい光景だが、こういう地元の人の声かけが嬉しかったり、忘れられない旅の記憶になったりするよなぁ、と微笑ましく見てしまう。
そう、寿町では外国人のバックパッカーが増えている。
10年前の簡易宿泊所の数は110軒、部屋数にして7,733室。そのうち約1,600室が空室だった。そこに手をつけたのが「ヨコハマホステルビレッジ」。簡易宿泊所をバックパッカー向けのゲストハウスに改装することで街に変化を生み出している。なにしろドミトリーなら1泊2,400円。個室でも3,100円なのだ。寿町は横浜中華街やみなとみらいに歩いてアクセスできる好立地である。それでこの価格は寿町以外ではありえない。
モダンな受付には、ズラリと並んだ旅人たちのプロマイドが。宿泊者の割合は、外国人が4割、日本人が6割で、横浜スタジアムで行われるライブのために利用する人も多いという。ハキハキと若いスタッフが地図を使って周辺の見どころも案内してくれる。元町、山手、山下公園、赤レンガ倉庫、関内、伊勢佐木町、野毛、桜木町、どこで飲んでもすぐ帰れる。
実際に泊まってみると、個室はわずか3畳。かつての簡易宿泊所の名残りが味わえる。もちろん部屋は清潔で、Wi-Fi完備。シャワー室もあるし、屋上バルコニーもお洒落で、快適すぎるのが残念なぐらいだ。昔ながらの簡易宿泊所も付近にはたくさんあるが、基本的には長期滞在者用である。
ヨコハマホステルビレッジを運営する「コトラボ合同会社」には「一坪縁台」というユニークな取り組みもある。街中に縁側のような台座を置くことで、路上に座り込んでいる人が減るのではないかという発想だ。
3畳の部屋に泊まってみると分かるのだが、布団を敷けば部屋が完全に埋まってしまう。寝る以外に何かをするスペースもないし、朝起きても二度寝、三度寝と度を越して眠り呆けてしまいそうになった。ゲストハウスに「共用スペース」が必要であるように、簡易宿泊所にも「外付けの部屋」といえる空間が必要であり、それが労働者にとって「路上」であっただけなのだ。
「一坪縁台」の成果は10年前を知るぼくにとっては明らかだ。あらためて寿町を歩いてみると、路上に座り込んだり、酔っぱらって寝転んでいる人は本当に少なくなった。朝6時からスナックがやっている、謎の小部屋で何やら賭け事をしている、酒屋の立ち飲みスペースの盛り上がりが半端じゃない、などなど、歩いていると「らしさ」は感じられるのだが、昼間はもちろん、夜中も危険は感じなかった。
だからと言って、カメラを取り出せる雰囲気ではない。何かを言われるわけではないが、視線は感じる。病院に侵入して写真を撮っているような己の無礼さを感じるのだ。つまるところ「寿町は観光地ではなく生活する場所」という言葉に集約されるのだろう。
簡易宿泊所について、こんな話をしてくれた人もいる。
「寿町の簡易宿泊所には風呂がないんだよ。釜ヶ崎や山谷にはあるんだけどね、あっちはもともと宿場町だから。突如として生まれた寿町とは成り立ちからして違うわけよ。それに、釜ヶ崎の簡易宿泊所なんかは、あくまで一時的な住まい。あそこに住んでいても生活保護は受けられない。でも、寿町の簡易宿泊所はずっと昔から住民登録ができる。生活保護も選挙権も年金だってもらえるんだよ」
生活する場所という意識が強い理由は、こういった歴史の中にもあるのかもしれない。
ライター 志賀章人(しがあきひと)