その日の夜は、ちょうど春祭り。
「ちょっと待っとって」と言われて座っていると、石本さんはスーツ姿に着替えてきました。「え、なんで?」と驚かされますが、これが五箇山春祭りの礼服なのです。
五箇山の冬は豪雪です。雪かきを1日サボると車を動かせなくなるほどです。それが昔ともなれば、外に出歩くこともままならず、離れた村に住んでいる親戚に会うこともできませんでした。雪解けがはじまるのは4月の終わり。それを待ちわびるようにして、村に散らばっている親戚たちが一家に大集合していたのです。いわば五箇山のお正月です。
今では大家族こそ減りましたが、友人やご近所さんを含めて一家にご招待する文化が残っています。お呼ばれして、お邪魔させていただくのでスーツなのです。この春祭りは2週間ぶっ通しで行われ、おもてなしをするホストを変えながら、毎日どこかのお家でパーティー三昧。1日に4件はしごする日もあるそうです。
僕が石本さんの友人として招いてもらった高桑家の集まりは50人、いや、70人は集まっていたと思います。大広間の大きさも広さも旅館なみで驚かされますが、その真ん中にドーンと置かれたテーブルにはズラリと並ぶ、海の幸、山の幸、川の幸。この日のために山で採ってきたという山菜は見たことがないものばかりで、おひたしに、天ぷらに、箸が止まりません。
のどが渇いても、ウーロン茶はありません。「三笑楽」という地元の日本酒がこれでもかと並んでいて「まぁまぁ」とひたすらお猪口を交わします。「三かい、笑って、楽しいな」と言いたいお酒ですが、30回はお猪口に注がれた気がして記憶が定かでありません。この狂宴が2週間続くなんて、まさに奇祭。 村人どうしでも、春祭りをきっかけに「はじめまして」となる人も多いようで、「どこどこの誰々です」「あー、あそこの息子さんかい」と熱燗を交わしながら村がひとつになっていく。都会に働きに出ている若者も、この日ばかりは帰郷して久しぶりの再会を果たしていました。
ほかにも、村の子どもたちみんなが食べて育つという羽場さんが作るパン「羽場パン」、縄で縛ってもくだけないほど堅い「五箇山豆腐」など、地産地消は当たり前。五箇山には和紙だけではなく、たくさんの文化が時間を止めています。
石本さんは移住者ということもあり、探究心がくすぐられることも多いという。
「普段の生活でも、ちらっと見え隠れする独特の文化があってね。よく人に聞いたり、本で調べたりしてる。本を読んでも『今は定かではない』と書いてあることが多いけどね。結局、わからないのがまたミステリアスでいいよね」
翌日は、世界遺産「相倉合掌造り集落」を訪れてみました。石本さんが住んでいる籠度とは、また別の集落。相倉(あいのくら)には23棟の合掌造りの家があり、現在でも60人が生活をしています。
――よう来たね!
待ち合わせは「なかや」という合掌造りの家でした。春祭りの夜に知り合った「中谷さん」に会いに来たのですが、そのお家は五箇山でも最も古い築350年の合掌造り。民宿として開放されていて、泊まらせてもらうこともできるのでした。中谷さんは生まれも育ちも五箇山なので、石本さんとはまた違う視点からお話を聞かせてくれます。が、ここから1時間ほど離れた場所にある「演劇と曼荼羅の里 利賀村」 については、このあたりの村の人にとっても謎が多い村だという。
石本さんも中谷さんも話していたのは、五箇山は季節によって見える景色や、村の雰囲気が全然違うということ。たった一度の訪問ではまだまだミステリアス。山より「謎」が奥深い五箇山の旅。それはまだ始まったばかりなのでした。
ライター 志賀章人(しがあきひと)