紙すきは、石本さんが和紙作りをしている場所と同じ「道の駅たいら 五箇山和紙の里」で体験することができます。昔と同じ合掌造りの建物です。
この日は、四十人以上の外国人がやってきました。アメリカ、フランス、カナダ、オーストラリア……ピーク時には百人を超える外国人が連日押し寄せるそうです。欧米人にとって紙は機械で大量生産するもの。五箇山和紙ならではの手作業の多さに注目しているようです。
五箇山和紙の里では、芸大界の慶応(と僕が勝手に思っている)「多摩美術大学」からやってきた「リア」さんも働いています。アメリカ人ながら日本に留学して日本画を専攻していたところ、日本画のキャンパスである和紙そのものに興味が湧いたそうです。
石本さんとリアさんが中心になって五箇山和紙の成り立ちや、作り方を教えてくれます。はじめての紙すきに挑戦して、できあがった和紙を手にすると「アメイジング!」が止まりません。そんな様子を見ていると、日本人で訪れている人が少ないのはもったいない気がしてきます。
和紙作り体験だけではありません。館内の二階はミュージアムになっていて、和紙を使った様々な展示物とともに五箇山和紙のことが学べます。
これは地元の子どもたちのワークショップ。布の切れ端を「紙すき」ですいてテキスタイルに。写真はほんの一部。ものすごい大きさです。
こちらは「ちぎり絵」。和紙をちぎって重ねて絵を描いています。毎年10月に和紙祭りが行われ、全国から作品が集まるそうです。
これは、タペストリーなど大きな和紙をすくときに数人がかりで使う「紙すき」です。4mはあるでしょうか。
知れば知るほど和紙に興味が湧いてきます。
和紙といえば、もやもやとした繊維を感じる質感。それを「あったかい」と感じるのはどうしてなのでしょう。石本さんに聞いてみました。
「和紙をさわると安心したりするのは、日本人のDNAに含まれてるもんかなって思うんよ。そのままの自然光じゃなくて、障子紙を一枚挟んでの自然光。そういう空間で見る器や壁の陰影を美しいと感じてきたのが日本人。蛍光灯に慣れるとその美学も狂ってしまうし、昔の器にも興味が持てなくなってしまうけど、和紙にはそういう美意識を思い出せる要素もあるんじゃないかな」
僕は、江戸時代に日本の使節団が外遊していたときの話を思い出しました。日本人たちが鼻をかんで捨てた「ちり紙」をヨーロッパ人たちが拾い、そのあまりの上質さに驚いて、ちり紙欲しさに使節団を尾行する人が続出したという話です。どうして日本ではそこまで和紙が発達したのでしょうか。
「高価な物でもなかったし、きっと使い道が多かったんやろね。字を書いたり、物を包んだり、扇子や着物や寝具まで。傘紙といって傘にも使われてたし、生活の色んなところで使われるものだったから」
布や鉄ではなく、あくまで紙を応用し続けてきた日本人。考えてみれば、今もお金は和紙で作られています。毎日手で触れてきたものだからこそ、DNAにまで引き継がれているのかもしれません。
ライター 志賀章人(しがあきひと)