楮を育てる農業から、紙を作る工業まで。一貫生産をすることは、和紙の産地であれば当たり前に思われがちですが、実際はそうではありません。楮を栽培したり処理したりする工程は、あまりに手間がかかるもの。有名な和紙でもその多くが原材料を仕入れに頼っています。
でも、どうしてそんなに手間がかかることを続けられるのでしょう。お金にならない大変なことは他国に任せて、デザインだけして「Made in XXX」。そのほうが効率がいい、そんな資本主義の流れに逆らっているようにも思えます。しかし。
「畑から作っていると、アイデアの生まれ方が変わってくるから」
石本さんの一言で、自分の浅はかさを思い知ることになりました。確かに、デザインや紙すきをどれだけ究めても、原材料から変えていく、楮畑の根元からデザインしていく発想にはなかなか辿り着けない気がします。分業する利点もありますが、一貫して全部やる「ものづくり」は強い、かつクリエイティブなことなのです。石本さんはこう続けます。
「畑もだけど、道具も大事やなと思って。簀の作り方を知っていれば、竹の太さをバラバラにしたり、糸の編み方を変えたりすれば、今までにない和紙ができるかもしれん。仕組みがわかれば3Dプリンターで作れるかもしれないし」
僕は「長野県の“小”店街の旅」でお会いした錫(すず)職人の角居さんを思い出しました。道具を作ってみないと仕組みが分からない、と工具のすべてを自分で作っていたからです。それを石本さんに話してみると。
「うんうん、そうすると自分にあった道具になっていくし、そういうのって売ってないんだよね。自分で作るしかない」
山口県出身の石本さん。やさしい語り口は山口なまりの言葉です。幼い頃から木に触れる環境が多かったこともあり、大学は木工学科に進学。木を使った表現方法を模索しているうちに「紙」に辿り着いたという。
「最初は単純に作ってみたいなと思って。原料は何がいんだろうとか、世界中の紙はどんなものがあるんだろうと調べていったら、共通してるのは木や草で作っていることだった。自分の国の和紙も勉強したいなと思って、楮の木を送ってもらって、自宅のコンロで蒸したり煮たりしてね。あ、できた! って。それがものすごく感動でね」
それから和紙を突き詰め、ある紙の作品を提出すると「五箇山なら原材料から自分たちで作っているから行ってみたら」と助言を受けたそう。それが五箇山との出会い。実際に行ってみて、和紙作りとその環境に惚れ込んで進路を決めた。
ちょうどその頃の話です。9年前、僕はチベットで石本さんの作品を見かけたことがありました。そのとき僕はユーラシア大陸を横断する旅をしていたのですが、石本さんが芸大の仲間とチベットの拉薩(ラサ)でアートプロジェクトを開催していたところを偶然にも通りかかったのです。そのときも石本さんは紙の作品を作っていました。
「懐かしいね。道具をぜんぶ現地調達するところからはじめたんよね。池に水を張って紙をすいたりね。あのとき、どんな秘境であっても紙は作れるんだって思えたのは発見やったかもしれんね」
話していて感じます。9年前から一切のブレがありません。石本さんのように、一生を捧げる道をこうも真っ直ぐ決められる人がどれくらいいるでしょう。秘伝や伝統というものは、場所も大切ですが、やはり人に宿るものなのだと密かに僕は思うのでした。
ライター 志賀章人(しがあきひと)