富山県南砺市
トンネルを抜けても抜けても山でした。下界から隔絶された五箇山の五つの渓谷。そこに点在する集落には、畑から和紙を育て続けてきた「五箇山和紙の里」が、そして、障子越しの光を通して「ものづくり」を見てきた日本人の美意識が残されていました。
最寄りのICから東海北陸自動車道「福光IC」を下車
最寄りのICから東海北陸自動車道「福光IC」を下車
「五箇山へ向かう国道156号線を進んでいくと、途中で民家が全く見えなくなるんやけどね。トンネルを抜けても抜けても、山と川だけの景色がひたすら続いて、さすがにもう誰も住んでないやろうと思ったら、少しずつ集落が見えてきて。こんなところに人が! って驚いたんよ」
数年前に「石本さん」が見た景色と同じ光景に、同じ驚きを僕は感じていました。
富山県南砺市にある五箇山。世界遺産「白川郷」のあたりと言えば想像はつくでしょうか。山奥の、そのまた奥にある秘境の村です。でも、だからこそ今の時代まで守られた「秘伝」とも言える和紙作りの里がありました。
――よく来たね!
待ち合わせは「城端(じょうはな)」という終着駅。五箇山へはここからさらに車で30分ほどかかります。迎えに来てくれた石本さんは、「ちょっとコンビニ寄っていい?」と聞いてきます。そして、“数箱のタバコ”を買い込む姿に山奥での暮らしを思わせます。そして走り出した国道156号線。城端町から出ると、すぐにはじまる険しい山道。僕は冒頭の光景を目の当たりにしたのでした。
「住んでるのは『籠渡(かごど)』という集落でね。昔、加賀藩の流刑地やったこともあって、あえて川に橋を作らなかったんよ。その代わり、太くて丈夫なツルを編んでね、『かごのわたし』と言って籠に人を乗せて行き来してたらしいんよ」
今でいえばロープウェイみたいなものでしょうか。集落には、その地の役割が地名として残されている場所が多くあります。今でこそ車で30分ですが、城端と五箇山を結ぶトンネルが完成したのは1984年。ほんの30年前までは、ときに雪崩に怯えながら長い長い時間をかけて町に降りていたのです。
辿り着いた石本さんのお家は、籠渡の中でも一段と高い場所にありました。都会はもちろん、城端と比べても緑の色がまるで違います。湿った空気が霞のようにおいしくて、うっすらと甘い気がするくらいです。
「山の陰影とか、集落にある建物のパース感とか、飽きずにずっと見てられるよね。それに、水の音がするでしょ? 五感が常に刺激されるから物を作るにはすごくいい環境だと思う」
そう話す「石本 泉(いしもと せん)」さんは、和紙職人。芸大界の早稲田大学(と僕が勝手に思っている)「武蔵野美術大学」を卒業後、すぐに五箇山にやってきました。それから8年。今や中心となって五箇山和紙の秘伝を受け継いでいる若き職人です。その職場でもあるのが「道の駅たいら 五箇山和紙の里」なのでした。
和紙の中でも、五箇山和紙は何が違うのでしょうか。
『洗濯できる和紙』五箇山和紙は、類まれな丈夫さからそう例えられることもあります。冬の五箇山は豪雪地帯。雨戸のなかった時代は、和紙を貼った障子一枚で雨雪をしのいできたのです。しかも、下界から閉ざされた陸の孤島。ゆえに、原料から加工までのすべてを村で完結させる必要がありました。
今回は、そんな五箇山和紙の秘密に迫ります。
ライター 志賀章人(しがあきひと)