まずは焙煎所ではなく、加藤さんの本業である建築事務所へと案内された私。そこにはたくさんの建築資料、模型、そして様々な陶器などが雑然と、でもいいリズム感をもって置かれていた。
さあ、コーヒーの話を……と思いきや、「これは僕のエポック・メーキング的な仕事だったんだよね」と加藤さんはいきなり『水防建築』と題された一冊の調査報告書を取り出した。「水防建築」とは加藤さんの造語であり、昔の人々が水害から作物や家財道具を守るために作った納屋などの歴史的建造物の総称である。伝統的な水防建築はだいぶ廃れてしまったが、農村部では現在も残っているものがあり、この冊子は水防建築の一つである「水塚」を、加藤さんが調査した報告書なのであった。
折しも9月半ば、茨城県、栃木県は未曾有の豪雨に見舞われた。特に古河市からもほど近い茨城県常総市の甚大な水害はニュースの通りである。建築家である加藤さんは、現在、被災した歴史的建造物などの相談も率先して受けている。
報告書をパラパラとめくりながら「昔は洪水があるたびに、それを記録してまた補強するつくりの建物があったんだよね」と私に教えてくれた。加藤さんはこうした歴史的建造物の研究、特に悉皆調査(全て調べること)を、仕事の柱の一つにすえているのである。
同時に加藤さんはこの研究の一端を、一般の人にも楽しめるようにしたワークショップを行っている。このワークショップ「まちのみかた」は、まず各自が街を散策しながら、町並みや建築物、そして街を形づくるさまざまな事象を写真に撮る。散策終了後に互いの写真を見ながらその良さを語り合い、建物や街の、成り立ちとしくみを共に考えるというワークショップだ。開催はすでに数十回を超え、建造物とそれをつつむ街の楽しさを知るワークショップとしてさまざまな市町村や美術館などで開催され、人気を博している。
一級建築士といえば、さまざまな建物を設計、工事、監理する専門職だ。町並みや歴史的建造物の調査研究というイメージは、一般的にはなかなか思い浮かばないかもしれない。加藤さんは「まあ、こういうことを仕事にしている建築士はあんまりいないでしょうね」と答えた。
なぜそんなニッチな仕事をやっているのかというと、それは加藤さんの学生時代に遡る。古河の子供たちの多くは、中学校を卒業すると東京や埼玉、あるいは栃木の学校へと進学する。加藤さんもそれに違わず、古河市からすぐの栃木県にある国立小山工業高等専門学校に進学した。そこで現在も師と仰ぐ、建築史研究者の河東義之氏に出会い、その研究室に入ったのだ。明治期に来日し、日本の建築界の基礎を築いたイギリスの建築家・ジョサイア・コンドルの研究者として有名であり、また「東京建築探偵団」のメンバーの一人として、名著『建築探偵団』などを執筆し、いま流行りの「町歩き」の先駆け的存在であった河東先生は、加藤さんの憧れの存在だった。
国立高専といえば優れた技術者になるために理数系の専門的な勉強を学ぶ教育機関である。「でも河東ゼミでは文化的な文脈で建築を学ぶことができたんだよね」と加藤さんは言う。「将来、住宅などの設計をメインの仕事にするにしても、建築の歴史研究を続けていれば、きっと仕事の引き出しが増えるだろうな……」と、19歳の加藤青年は考えたのであった。
市街地では戦後の建造物が多い茨城県だが、戦災や火災を免れた古い町では、今でも趣のある歴史的建築物を見つけることができる。なかには古びてしまい、残念ながらその魅力が忘れられているような建物もある。そのような建物を調査し、古くて良い部分は磨き上げて残し、補修が必要な部分には新しい技術で元の良さを損なわないように直し、魅力的な建築として現代に蘇らせるのが、建築家・加藤誠洋の真骨頂である。特に、古河から車で30分ほどの茨城県桜川市真壁町にある、国の登録有形文化財の古い旅館を調査し、インテリアも全面的にプロデュースして新たにカフェとして蘇らせた「橋本珈琲」のリノベーション・プロジェクトは2013年のグッドデザイン賞を受賞した。そしてやはり国の登録有形文化財になっている結城市の着物店「結城澤屋」のリノベーションが今年のグッドデザイン賞を受賞するなど、その仕事は年々、高い評価を受けているのだ。
そしてこのカフェのリノベーションに携わったことが、「クロニクル・コーヒー・ラボ」が生まれるきっかけへとつながるのである。
松本美枝子