ところで、さまざまなお客さんたちと話しながらお酒を飲んでいると、私は橘さんが驚くほど英語が流暢であることに気がついた。これはその場にいた常連さんたちも知らなかったらしく、「え、実里さん、かっこいい……!」と小さな声で言っている。
理由を尋ねると、橘さんは「子どもの頃から海外に出て勉強したくて、高校からイギリスに留学していたんですよ」とさらりと言った。
その行動力に驚く私に、橘さんはさらにロンドンの大学で、現代美術と写真を学んだのだ、と続けた。「でも自分はアーティストにはならかったですけど。みるのは今でも好きですけどね」
帰国後は、2007年から2020年まで、広告業界でアシスタントとして働いたが、橘さんはそれも「なんだか違う」と思っていたのだそう。
「みーちゃんは雇われて何かする感じじゃない。もっといきいき働ければいいな、と思ってたんです」というのは、橘さんのパートナーで、プロデュースを手掛ける竹内正人さんだ。「店の経営を見てくれている」という竹内さんは、今日も忙しいこの店を手伝いに来ていたのだった。
ちなみに「竹の湯別館」の建物を、銭湯の記憶を継承して下町の通りに溶け込むようにリノベーションした建築家は、竹内さんの友人でもある。
橘さんは「大学で学ぶこと、調べることが好きだった。それが自分が大好きなワインと飲食の仕事につながっていったのかもしれませんね」という。美術、広告、飲食とさまざまな経験を積み、自分が本当に作りたいものは「居場所」なんだと気づいた橘さん。大好きなワインを使って「いつか人が集まる場所を作ろう」と考えてきたのだという。それはまだ始まったばかりだが、この通りの人に受け入れられ、連日の賑わいを見せている。
それはアートを勉強した橘さんならではの、「場所」という作品なのかもしれない。私はそんなふうに思えた。