2010年39歳の時、すみだ水族館開業準備チームに異動した山内さん。それはまさにゼロから水族館を立ち上げるプロジェクトだった。
決まっているのは、スカイツリータウン内にすみだ水族館を開設するということだけ。ゼネコンと話し合いながら水族館の設計図を作るところから始まり、同時進行でスカイツリータウンを運営する東武鉄道と出店条件を交渉したり、生き物を集める段取りを組んだり、スタッフの雇用を進めたりしていた。デスクやイスなど備品を揃えるのも、山内さんの役目だった。
もちろん経験、ノウハウもないため、最初は同じくオリックスが運営している新江ノ島水族館に配属となり、水族館の開設と運営に必要なあらゆることを学んだ。窓口でのチケットの販売や、売店でのアイスクリーム販売なども手伝った。
異動から約1年後には、すみだ水族館の「開業準備室長」に命じられた。しかし、山内さんは激しく後悔していた。金融や不動産事業で億単位の資金を動かしていたビジネスパーソンにとって、数千円のチケットを売り、そのチケットを買ったお客さんを満足させるためにあくせく働く水族館ビジネスが「すごく平凡でつまらない仕事」だと感じ始めていたのだ。
「公募に応募したのは、失敗だった。人事の言うことを聞いとけばよかった……」
ある時、子ども向けのワークショップを担当した日も、山内さんは死んだ魚のような目をしていた。「ま、これでいいか」と深く考えずに選んだ魚の塗り絵を、子どもたちに配る。
すると、子どもたちは目をキラキラさせながら、水族館の魚を再現しようと色鉛筆を握っていた。夢中になって色を塗る子どもたちの姿を見ているうちに、ハッとした。
「子どもたちはすごく本気なのに、 俺はぜんぜん本気じゃない。それは違うんじゃないか」
かつて、鴨川シーワールドに連れて行ってもらうことをなによりも楽しみにしていた山内さんの胸の奥に、小さな火が灯った。
2012年5月22日、すみだ水族館オープン。山内さんは水槽だけでなく、ロゴ、サイン、照明、リーフレット、チラシなどあらゆるデザインにこだわったこの水族館の担当者として、さまざまな分野のプロフェッショナルとコラボした。そして開館に伴い、販促、宣伝、広告、集客を担う営業企画部長に就任。3年間、腕を振るった後、館長に就任した。
そこから順風満帆に……とはいかない。