まずは中間地点となる砂防えん堤を目指し、隊列を組んで藪に入った。途中で大きな泥の溜まり場を横切ると、私のすぐ後ろを歩く北村さんが「これは『沼田場(ぬたば)』といって、イノシシが体に付いている寄生虫や汚れを落とすために泥を浴びる場所」と親切に教えてくれた。山にはイノシシ以外に鹿や熊、カモシカがいるそうだ。ニホンカモシカは日本の固有種ながら密猟などによって生息数が激減し、国の天然記念物に指定された野生動物。手厚い保護により個体数が増加した反面、造林地や農地で食害の被害をもたらすようになり、現在も法律によって捕獲が制限されていることから、農業や林業を営む人々にとって悩ましい存在になっている。
「ヘビを見かけたらマムシの可能性があるので触らないでください」
先頭を歩く船田さんが注意を促した。「りょーかいです!」と私は即座に答えたものの、マムシの体色は藪と一体化しているので、素人が見つけるのは至難の業。彼らの攻撃範囲と言われる30cm以内に踏み込まないことを祈るしかない。
20分ほどで砂防えん堤に到着してひと休みする。小さな沢と不釣り合いに見える構造物の存在を不思議に思い理由を聞いてみると「土砂をせき止めるため」との答えが。フォッサマグナの西縁に当たるこの一帯は地質的に脆く、増水による土砂崩れが発生しやすいそうだ。
ここから先はザイルを頼りに先へ進む。予め設置された太いロープを握りしめ、水分を含んだ不安定な足元に注意をはらい、いくつかの斜面をパスする。自分の体重によってザイルに遠心力のような負荷がかかると体は思わぬ方向に流れ、このような登山に慣れていない私は少し緊張した。とはいえ岩が剥き出した垂直の岩壁を登攀するわけでもなく、小学校高学年であれば難なく登り切ることができる程度の道のりだ。暫く進むと沢の向こう側の斜面をメンバーたちが指さした。新緑で覆われた山肌に、不自然な黒い穴が空いている。まるで縄文人の住居のようだ。
「あそこに見えるのが梶山元湯です」
その言葉を聞いて私の胸は高まった。さらに5分ほど歩き、勢いよく水が流れる小さな沢を渡ると、その穴は目の前に現れた。駐車場を離れてから50分ほど、多少困難な道中を経て、私はようやく秘湯にたどり着いたのだ。