未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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日本一深い海は宝の山だった 深海魚の「聖地」を巡る

文= 白石果林
写真= 白石果林
未知の細道 No.235 |12 June 2023
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#9深海のトップ・プレデターと対面

腹ごしらえが済んだあと、私は御浜岬の先端にある「駿河湾深海生物館」に向かった。魚清から車で約5分で着く。

1969年、戸田村立造船郷土資料博物館が設立され、その一角に深海魚のホルマリン標本を並べるところからスタートした同館。

学芸員の筒井久美子さん。

「大正6年(1917年)から始まった深海魚漁ですが、当館の設立以前は深海魚が獲れても地域で消費するだけで終わっていました。貴重な資源を有効活用できないかと、まちおこしの一環で設立したのが始まりです」そう話すのは、学芸員の筒井久美子さん。同館の長い歴史を知る唯一の方だ。

旧戸田村出身の筒井さんは、もともと戸田村役場に勤めていた。20年以上前、役場から専門職員を1名選出しようと話し合われた際、筒井さんに白羽の矢がたった。

当時のことを聞くと、「深海魚が好きだったわけでも、学芸員になりたかったわけでもありません。なんで私が? と驚きました」と笑う筒井さん。役場で働きながら通信教育で学芸員の資格を取得し、同館に勤めて20年になる。

私は深海魚展示エリアを、筒井さんと一緒に歩いた。若いカップルから複数人の高齢者グループまで、すれ違うお客さんの年齢層はバラバラだ。

足を伸ばすと3メートルもあるタカアシガニの剥製。このサイズになるまで30年かかると言われている。

ここは水族館のような民間の施設ではなく、沼津市の水産海浜課が管理する官学連携の施設。生きた深海魚は1匹もおらず、剥製、ホルマリン標本、乾燥標本などがずらりと並んでいる。

ホルマリン標本を見ながら「理科室みたいですね」と言うと、「そうですね」と筒井さん。

「水族館だと勘違いして、生きた深海魚を見るつもりでくる方がいまだにいらっしゃいます。ホルマリン標本をみて『気持ち悪い!』と帰ってしまう方も(笑)。でも世界で数体しか見つかっていない稀少な深海魚を展示していますから、日本中からお客様がいらっしゃいますよ。2017年にリニューアルしてからは、客足が1.5倍に伸びました」

館内に展示される深海生物の数はなんと300種類。調査用の船を出して採取した深海魚に加え、地元の漁師が「珍しいのとれたよ!」と持ってきてくれる魚も展示される。

大迫力のヨコヅナイワシ。

筒井さんが「世界で6体目の稀少な深海魚です」と紹介してくれたのが、2021年1月に新種登録された全長約1.3メートルのヨコヅナイワシ。体重はなんと23.3キロ。水深2150メートル付近で獲れたそう。

これがイワシ!? 私が知っている、手のひらにおさまる小さくてツブらな瞳のイワシとは似ても似つかない......と思っていたら、馴染みのあるイワシとはまったく別物で、セキトリイワシ科に属するらしい。

海洋研究開発機構の調査で、ヨコヅナイワシは駿河湾の深海の食物連鎖の頂点に君臨するトップ・プレデター(捕食者)であることがわかった。

低水温、高水圧で光の届かない過酷な環境の深海。考えるだけで息苦しいけれど、私は真っ暗な深海でヨコヅナイワシが泳いでいる姿を想像した。

深海生物のなかにはなるべくエネルギーを使わないようジッと動かない魚もいるらしい。ヨコヅナイワシはそういう深海魚たちを捕食しながら、こんなに大きくなるまで生きてきたのだ。

ヨコヅナイワシの迫力のある顔を横目で見ながら、なんだかとてつもない生命力を感じた。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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