インドで自由の風に吹かれ過ぎたせいか、「ボーっとしていて」就職活動に出遅れて、やむなく留年。高校時代から漠然と憧れを抱いていたという新聞社でアルバイトをしながらも、「僕には才能がない」と感じ、なんのアプローチもせず諦めた。
大学5年生の時、京都に本社がある出版社、法蔵館書店の東京事務所でアルバイトを始めた。伊藤さんが好きだった作家、池田晶子や布施英利の作品を出していた出版社だ。本当は作家と本を作る編集者の仕事がしてみたかった。ところがまた、「僕には才能がないから」とそれほど興味がなかった書店の営業を言われるがまま担当した。
「あわよくばこのまま就職したい」という希望を抱いていたが、大学卒業を前に「なにをやりたいのかわからない」と言われて仕事を失った。時はバブル崩壊後の就職氷河期、出版業界に興味はがあったものの卒業後も就職先はいっこうに決まらず、「僕には無理だ。そろそろちゃんと職に就かなければ」と思い至り、旅行会社に方向転換した。
「本っていわゆる『ブツ』はありますけど、物語に形があるわけじゃなくて、その形のない物語を読者は体験しますよね。そういう意味で、旅行も形はないけど本と同じような体験ができる、芸術的な営みと言えるんじゃないかと思ったんです」
門を叩いたのは、通好みのツアーでリピーターを多く抱えていた旅行会社。創業者である当時の会長が新聞広告で「旅は芸術」と書いていたのが決め手だった。採用試験はとんとん拍子で進み、内定。1996年、25歳の時に就職した。