それにしてもなぜ、射水市に彼らの社会が築かれたのか?
話は1980年代後半まで遡る。日本が好景気の真っ只中にあった当時、特に建設業や製造業の現場で人手不足が顕著になり、海の向こうから労働者を迎え入れた。アジア諸国、イランやトルコといった国々から人々が数多くやってきたなかに、パキスタン人もいた。
1990年代に入ると、富山県に在日パキスタン人が数多く集まるようになった。彼らは伏木富山港を拠点に、中古車販売店を次々と開業させた。当時の最大の商売相手は、日本海の対岸に位置するロシア。メイドインジャパンの中古車を求めた彼の国のバイヤーたちが、国道8号線沿いのパキスタン系中古車店に殺到、イスラム教を基盤にしたコミュニティは次第に膨れ上がった。
しかし2009年に転機が訪れる。ロシアが自動車とトラックの輸入関税を大幅に引き上げたのだ。これを機に多くのパキスタン人は商売を畳んで富山を去り、ビジネスを続ける人々も生き残りをかけて模索し始めた。
イスラム教徒であるパキスタン人は「ハラール」と呼ばれる戒律に従った食生活を送る必要がある。豚肉やアルコールを摂取しないこと以外にも、食材の加工方法、輸送方法、保管場所などにも細かい決まり事がある。そのため、彼らが安心して食事できる飲食店が射水市にいくつか存在していた。
在日パキスタン人コミュニティ全盛の時代、そうした店はムスリムのための空間だった。しかし社会が縮小すると、減少した売上を補うべく、レストランのオーナーたちは地域社会に目を向けるようになった。