ほかの同級生と同じタイミングで、大学卒業後の1998年春に入社。新社会人としてやる気に燃え……ることもなく、「つまらなかったら3カ月で辞めよう」と考えていたそうだ。
配属されたのは、直営のジェラート屋さん。1日最大100万円、ひと月1000万円を売り上げるほどの人気店で、フリーターや学生のアルバイトがたくさん働いていた。その先輩たちに教えを請い、朝から晩までひたすらフルーツの処理をしたりしながら、ジェラートの作り方を学んでいった。そこでジェラートの魅力に目覚め……たわけでもなく、入社して2年目には異動を願い出た。
「なにかを考えて作るというよりも、作業をこなすだけの日々でした。それに嫌気がさして、欠員が出たジェラート工場に異動させてもらったんです。工場は1日に作るキャパが決まってるので、お店で働くよりは楽でした」
工場で、やるべきことを淡々とこなす日々。それでも仕事の手を抜くことはなく、評価もされていたのだろう。入社して3年目、25歳の時に社員研修でイタリアに行く機会に恵まれた。ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアを巡った初めてのイタリアで、磯部さんは衝撃を受ける。
「ジェラートがイタリアの食文化のひとつということは知っていましたけど、僕は本場のジェラートを見たことも触れたこともないまま作っていたんです。それでイタリアに行ったら、町のいたるところにジェラート屋があって、お店によって個性が違う。生活に密着した文化を目の当たりにした時に、これはすごいなと驚きました」
このイタリア訪問を機に、現地で見聞きしたこと、得た知識を日本で表現したい、知らない人に伝えたいという想いが芽生えた。帰国後、工場から店舗に戻った磯部さんは、前のめりで仕事に取り組むようになった。
仕事が楽しくなってくるにつれて社内での立場も良くなり、自由度が増した。イタリアで売られている、おはぎのような形のチョコレートのジェラート「タルトゥフォ」が日本であまり知られていないことに着目し、「面白いからやりましょう!」と自ら再現して販売したこともある。
数年に一度はイタリアに研修に行く機会があり、そのたびに新しい情報、使ったことのない素材を見つけた。伝統を守りながらも時代に合わせて進化していると肌で感じ、少しでもその領域に近づこうとジェラート作りに邁進した。