今回、みきティたちと一緒に職人さんたちの工房を訪ねたわけだが、とても印象深かったことがある。それは誰も彼もがゆっくりと時間をとり、心から満たされた表情で漆について説明をしてくれる姿だ。
こんなふうに語り、歩みながら、ひとつの器ができあがるまでの長いプロセスに触れることは、私にとっても実りの多い時間だった。
ゆっくりで、ゆっくりでいいんだよ。
焦らずに、ただ好きなものと向き合う時間をとっていいんだ。そう言われているような気がします――。
そんなふうに漆器ツアーの感想を私が伝えると、貝沼さんは頷いた。
「漆と付き合っていると気が長くなります。だって漆って、待つ時間が長いんですよ。木が育つのを待つとか、漆が良い状態に乾くまで待つとか。焦ってもしょうがないんです」
それは気が長くなるはずだ。なにしろひとつの漆器には1万年の人類の時間が流れ込んでいるんだから。そこには、必要以上のものを所有し、消費していく現代のライフスタイルをもう一度考え直すヒントがあることだろう。それは、貝沼さんの“漆はロックだ!”という言葉に秘められたメッセージだ。しかし、「漆はロックだ!」にこめられた思いは、もっと複雑かつ深淵なもののようだった。
「バランスが大事なんです」
バランス?
「そう、僕はひとつだけの価値観って逆に不健全だと思うんです。善も悪もどんな人の中にもあるし、両立しているからこそ健全でバランスが取れている。アンバランスなバランスの良さというものがある。漆も同じで、漆があれだけすごく強くて素晴らしい樹液を生みだす力は漆の木の“弱さ”のおかげだと思うんですよ。漆の木は他の植物にすぐ負けちゃう。弱いからこそ自分を守る偉大な力を持っていて、それを人間は借りているだけなんですよ」
弱いけど、強い漆。漆器は人肌のように優しい肌を持つけれど、手入れさえ怠らなければずっと輝き続けて、私たちの人生に寄り添ってくれる強さを持っている。
弱さのおかげで、強さがある。それは、強いものが幅をきかせてデカい顔してのさばっている現代社会において、とても必要な考え方だろう。人間も自然と同じで、多様性のなかでバランスが保持できるひとつの生態系のはずなのに、強い者、力を持つ者だけが生き残るような社会は長く続いていかない。
インタビューの最後に、貝沼さんが幸福を感じる瞬間について聞いてみた。私のインタビューの恒例の質問である。考えたあとにすっと出てきた答えは、ちょっと意外なものだった。
「案外、発送作業が好きです」
えっ?梱包とかそういうのですか?と聞き返した。
「そう、発送の準備はとても面倒で大変なんですけど、ああ、この器がこれからあの人のところに行くんだと思いながら箱にいれて送り出すその瞬間が幸せです。そのとき、毎回『じゃあ、いってらっしゃい!』という気持ちになるんです」