なんだかポジティブなことばかりを書いたが、実際の漆器産業全体に目を向けてみると、さっきも書いた通り漆器は危機に瀕しており、その“生態系”が保てるかどうかは瀬戸際のところにあるという。貝沼さんはそこに強い危機感を抱いており、彼の活動は「めぐる」を通じてその生態系をいかに健全にしていくかという挑戦でもあるのだ。
振り返ると、会津の地で本格的に漆器が作られるようになったのは安土桃山時代のことで、400年以上の歴史を持つ。昭和になるとその産業のあり方は、大きく変化。漆器は手間隙がかかるわりに職人の手に残る賃金はとても少なく、後継者不足などの問題が深刻になった。そこに消費者のライフスタイルの変化が追い討ちをかけ、漆器を使う家庭自体が減り、廃業するメーカーや辞める職人が相次いだ。
「漆器産業が自分の首をしめてきた側面もあると思います。安く、早く、便利にという経済の中で、土台にプラスチックを使ったり、漆ではなく化学塗料を吹き付け方式で塗ったり、外国製の輸入品を会津産と販売したり。そうするうちに、本物の漆器とは何かが、わからなくなってしまった人も少なくない」(貝沼さん)
さきほど“生態系”と書いた通り、会津漆器は分業制で作られる。一つの漆器に関わる主な職人は、木地師、塗り師、蒔絵師。そのほかにもトチノキを切り出すきこり、漆を育てる人、漆を掻き職人、そして漆掻きの道具や漆を塗るはけを作る職人、顔料などの原料を作る職人も必要である。さらに広い視野で見れば、漆の木が育つ里山を保持できることも産業が成り立つ前提条件である。そのすべてが漆器づくりの“生態系”を形成し、何かひとつが欠ければ本物の漆器は作れなくなってしまう。
もちろん、最後に生態系ピラミッドの小さくない一隅を担うのは、消費者である。ここの意識が変わるかどうかに漆器作りの未来はかかっている。今や100円ショップや雑貨店に行けば「漆器風のお椀」がたくさん並んでいる。まあ、これでいいや、という選択を私たちがくりかえしていけば、いつの間にか本物の漆器は絶滅してしまうのだ。