漆器を仕事にしようと漠然と考えはじめたわけだが、すぐに商品開発にとりかかったわけではなかった。実際に「めぐる」の商品を発表するまでに、4年の月日を要している。4年間、どんなふうに過ごしていたのだろうか。
「実際の商品開発は最後の2年ほどです。最初の2年間は、実はずっと漆とは何かということを自分なりに考えていました」
「考えてただけ?それで2年間、その間はどうやって食っていたんですか?!」と驚いた私は訊ねた。
「他の仕事をしたりして食い扶持を稼ぎながら、漆の木を育てる活動に参加したり、職人さんたちの工房に顔を出して話をしたり。要するに漆について哲学してましたね」
もともとひとつの物事についてとことん考えることが好きだったという貝沼さんは、職人さんたちとの交流や漆に関する勉強をしていた。それを通じて、漆器が持つ素晴らしい魅力や可能性について理解が進む一方で、会津の漆器産業には多くの課題があることも見えてきた。漆器産業は様々な理由から下降線をたどり続けており、消費者の中には、全く漆器を買ったことがない、家にも持っていないという若い人も少なくなかった。
そもそも、現代の日本では漆器とは何かということを理解している人も少ないのだ。貝沼さんは、商品を作ることだけではなく、漆器づくりのプロセスやその魅力をきちんと世の中に伝えていかなければと思うようになる。
そこで貝沼さんは、漆器初心者向けのツアー「テマヒマうつわ旅」を開始。漆の植栽地から漆塗り職人などの工房までを案内し、その魅力を伝え続けた。ツアーにはそれまで漆器を買ったことがないという若い人たちがたくさん参加してくれ、その反応から手応えを感じるようになった。
漆器作りの構想を練っていく上で、ひとつの運命的な出会いがあった。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」代表の志村真介さん・季世恵さんである。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は暗闇の中で対等な対話の場を作る体験プログラムで、暗闇をアテンドするのは視覚に障害がある人々である。言い換えるならば、その人たちは触覚や感覚のプロである。
漆器の命はその滑らかな触り心地や口当たりの良さ、温かい感触である。だからこそ、
「彼女たちの繊細な感覚を取り入れてみたらどうか」
という提案があり、貝沼さんはぜひやってみたいと思った。
そうして、初期の頃から漆器制作に参加してきたのが、冒頭に出てきたみきティだ。 私は、彼女の器を見る能力やその見方にすっかり驚かされた。私が30秒くらいで「ま、だいたいわかった」と見た気になってしまう器を、彼女は全身の感覚を使ってしっかりと見ていく。感触を確かめ、香りをかぎ、頬擦りし、音を聞く。裏返し、高く掲げ、また胸の前にもち、唇の前に持っていく。これが彼女の「見る」なんだ! と思うと、その情熱と知的好奇心に圧倒された。
器のかたちを決める素地を作る職人、「木地師」の荒井勝祐さんは、彼女たちとの漆器作りについてこう語る。
「彼女たちの感覚は想像していた以上にすごかったです。まったく想定しないような意見も出てきました。例えば、器の腰に一本のラインがあるだけで、水平が取りやすくなってこぼしにくくなるとか、もっとカーブを滑らかな方が持ちやすいとか。それをひとつずつ取り入れて何度もデザインを修正していくプロセスは、挑戦に満ちていてとても面白かった!」