翌朝、私はメープルサップを収穫する栗田さんについて行った。ポリタンクをかけた90本ほどの楓の木は複数の山に分散しているので、息子さんと分担して山を回っている。自宅すぐ近くの吉沢と名づけられた山を歩きながら、私はイタヤカエデに関するさまざまなことを聞いた。
樹液を集めはじめるのは旧暦2月、二十四節気(にじゅうしせっき)の「啓蟄(けいちつ)」の日を迎えるあたりから。雪ごもりの虫が這い出るという意味をもつ日だ。新暦に照らし合わせれば3月、春の気配が漂いはじめるころ。最高気温が4度を超えると樹液が動き出すという。
楓に対する知識がなかった当初、栗田さんは地域の健康相談会に集まった老人たちに尋ねた。1988年のことだった。
「イタヤのつゆが甘いってのは知ってたか?」
すると、炭焼をしていたおじいさんが答えた。
「むかしから『2月泣きイタヤ』と言ったもんだ」
2月にイタヤカエデを切ると涙を流して泣く。その涙はほんのりと甘い。山の民は喉を潤すために木をちょんと切って、たちまち貯まる液体を指ですくって舐めていたのだ。はじめて耳にする言い伝えは、旧暦2月がイタヤカエデの樹液を集めに行く時だと示唆していた。
さらに調べてみると、北方の先住民アイヌもイタヤカエデの樹液を貴重な甘味料として利用したらしい。また1950年代には青森県の十和田地方で「楓蜜(カエデミツ)採取事業」なる試みがあったものの、事業化にはいたらなかった。
栗田さんがイタヤカエデに注目した1980年代終わりころは、国内で樹液集めを生業とする人は誰もいないようだった。消えつつある山の文化と、集落に伝わる物語が重なり合うことに、栗田さんは強い興味を覚えた。そして何より、甘いものは彼の大好物だった。