せっかくなので、イグルーのなかで然別湖コタンの歴史についても話を聞いた。意外だったのは、最初は「遊びだった」ということだ。
「もともと、湖畔のホテルの従業員の方が、冬になるとこれだけ平らで広いスペースができるのに、誰も使わないのはもったいないと思っていたそうです。それで、たまたま意気投合した帯広の飲食店経営者と一緒にかまくらを作って、遊べる場所を作ろうっていうのが始まりです」
1980年、大人ふたりが、好きなだけ飲んで騒げる湖上で遊び始めた。そのうちに、仲間たちが集まるようになり、ちょっとした話題になった。
転機になったのは、1981年の年末。どこで噂を聞き付けたのか、大晦日に放送されるNHKの『ゆく年くる年』が中継に来た。それを見た鹿追町の職員から「これは面白い! 町もお金を出すから人を呼べるイベントにしよう」とオファーが来て、町公認になったのが1982年だった。
それからは商工会の青年団も加わり、規模が大きくなっていった。と言っても、仕事が終わってから集まり、ある程度の作業をしたら湖上で宴会という手作り感あふれるものだった。町の公認イベントになって2回目には、氷上露天風呂が登場した。
「最初は温泉の湯をバケツリレーしようということで、ホテルの近くに露天風呂を作ったんだけどそれも大変でしょう。その後、なんとかお湯を冷まさないために焼いた石を入れたり、いろいろ工夫したそうです。当時は木枠だけで作っている湯船で断熱性がないから、いろいろ大変だったみたいですね。今は、なにかあったら困るから、氷が張る前に桟橋を浮かべて、その上に断熱性のある湯船を乗っけてあります。どんどん進化してるんですよ」