大手門にたどりついた。さきほどのイチョウしか残らなかったほどの大空襲によって、残っていた水戸城ゆかりの建造物はほとんど焼け落ちてしまった。しかし近年、この大手門や周辺の二の丸角櫓や土塀の復元工事が進み、なんと去年、全ての工事が完成したばかりなのだ。
質素であることと学問を尊ぶ気風だった水戸藩。
「水戸城は土造りの城でした」
と須藤さんは発掘された当時の瓦塀を指差す。そしてそのようすを全面にデザインした壁など、知らなければ素通りしてしまうポイントを教えてくれる。
次は大手門の対面にある、水戸藩の藩校であり「水戸学」の発祥の地として名高い史跡・弘道館へ。弘道館は明治維新での藩内の戦いや昭和20年の空襲で焼け落ちたところも多いが、現存している建物は、最後の将軍・徳川慶喜が過ごした場所としても有名だ。
水戸学は、幕末当時の日本の思想、学問において中心的な役割を果たしていた。一方で幕末、熾烈な内部抗争で力を落とした水戸は、明治維新以降、近代化のリーダー的存在から遠のき、水戸学もやがて忘れられた存在になっていったと、須藤さんは解説する。しかし水戸学そのものは実は明治維新の原動力、つまり日本の近代化の礎にもなっていることはいうまでもない。「水戸の生きざまは、勝利を目指すロボッツも同じです!」と水戸学のスピリッツと茨城ロボッツを重ねあわせて紙芝居で語っていく。
弘道館に入り、じっくり見学する。須藤さんは、幕末、そして太平洋戦争での戦火、さらには2011年の東日本大震災で、この町の文化財の何が消失し、何が奇跡的に残ったのか? そしてそれらが今後どう保存されていくのか、ということを解説していく。
さて弘道館のすぐそばには小さな鹿島神社がある。ここは勝負運の神様としても有名なのだ、と須藤さん。須藤さんに連れられ、みんなでこの神社をお参りし、午後のロボッツの試合の勝利を、祈念したのはいうまでもない!