そして、もうひとつは大型掘立柱建物跡(おおがたほったてばしらたてものあと)と呼ばれる巨大な建造物の跡。
今復元されているものは高さ15メートルで、当時使われていた栗の木は1本あたり8トンの重さがあったとされる。これが腐らないようにスモークされていた痕跡もある。
当時の縄文人の平均身長は、男は157センチ、女は147センチ。現代人と比べると、特に男はかなり小柄だ。男女で力を合わせたとして、この巨木をどうやって運び、全体をまんべんなくスモークした後に、まっすぐに建て、それが倒れないようにしたまま組み上げていったのだろう?
「建築の知識を持った指導者がいたと思われます。ただ、実際にどうやって建てたのかは、縄文人に聞かないとわかりません(笑)」
使い道は見晴台、海の灯台、神殿という3つの説があるそうだけど、それよりなりより、どうやって建てたのか、その謎を解いてほしい。
たまたま見つけた大手建設会社の大林組による三内丸山遺跡の工学的分析によると、「(栗の柱はそれぞれ)内側へ角度2度ほど傾いており、計画的かつ意図的なもの」と推測されている。2度って、どうやって計ったのだろう? 1本が1度でもずれたら崩壊しそうだ。まったく同じ条件で実験したとして、現代人に建てることが可能なのか、知りたいのは僕だけではないだろう。