未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
199

偶然から始まるミステリーツアー 三内丸山遺跡の謎を巡る

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.199 |10 December 2021
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#6縄文時代の体育館!?

さあ、ここから縄文人の生活の話に入ろう。1700年続いた42ヘクタールの集落で、今のところ600軒の住居跡が見つかった。

「そのうち、今から5000年前に建っていたのは100軒と言われています。だいたい5人家族で平均寿命は30歳から35歳、当時は500人ぐらいの集落だったと言われています」

かやぶき屋根の竪穴建物。建物のなかに入ることもできる。

三内丸山遺跡で復元している竪穴建物は3タイプ。かやぶき屋根のもの、「土葺き」のもの、たくさん生えていた栗の木の皮を張って作ったものがある。

高床式の建物は物置きや集会所として使われていたと予想される。

縄文人の建築技術は、家族で暮らす住居だけに収まらない。広々とした高床式倉庫のようなものも作っているんだけど、僕がなによりも驚愕したのは、三内丸山遺跡のシンボルともいえるふたつの建物だ。ひとつは、大人が腕を回しても届かないような大木をいくつも使っている長さ約32メートル、幅約10メートル、内部の面積が250平方メートルある立派な体育館レベルの建物。外見も迫力があるけど、なかに入ってみると「なんじゃこりゃ!」と驚く広さだ。

「集会所、作業所、共同住宅として使われたのではないかと言われています。冬の間はここに集まり、みんなで火の番をしながら過ごしたという見方もあります」

  • 間近で見ると驚く大きさの建物。
  • 西さんと比べると建物の高さと広さがわかる。
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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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