さあ、ここから縄文人の生活の話に入ろう。1700年続いた42ヘクタールの集落で、今のところ600軒の住居跡が見つかった。
「そのうち、今から5000年前に建っていたのは100軒と言われています。だいたい5人家族で平均寿命は30歳から35歳、当時は500人ぐらいの集落だったと言われています」
三内丸山遺跡で復元している竪穴建物は3タイプ。かやぶき屋根のもの、「土葺き」のもの、たくさん生えていた栗の木の皮を張って作ったものがある。
縄文人の建築技術は、家族で暮らす住居だけに収まらない。広々とした高床式倉庫のようなものも作っているんだけど、僕がなによりも驚愕したのは、三内丸山遺跡のシンボルともいえるふたつの建物だ。ひとつは、大人が腕を回しても届かないような大木をいくつも使っている長さ約32メートル、幅約10メートル、内部の面積が250平方メートルある立派な体育館レベルの建物。外見も迫力があるけど、なかに入ってみると「なんじゃこりゃ!」と驚く広さだ。
「集会所、作業所、共同住宅として使われたのではないかと言われています。冬の間はここに集まり、みんなで火の番をしながら過ごしたという見方もあります」