津軽金山焼から三内丸山遺跡まで、車で30分。この縄文時代最大級の遺跡がどういうものなのか、どれぐらいすごいものなのか、しっかり話を聞きたいと思ってガイドを頼んでおいた。さすが最大級の遺跡だけあって、「三内丸山遺跡応援隊」というボランティアガイドの組織があり、現在94名が活動しているそう。すごい!
今回、ガイドをしてくれたのは西晃さん。会社員時代は営業をしていて人と話すのが好きで、定年退職後、応援隊に入隊。ガイドをして10年のベテランで、知識が豊富なのはもちろん、元営業マンだけあってトークのキレも抜群だ。一緒に広々とした縄文時代の集落を巡りながら話を聞いた。それは、僕にとって驚きの連続、「縄文ヤバい!」を連発する時間になった。
「三内丸山遺跡は、約5900年前から4200年前の集落です。ムラの大きさは東京ドームの約9倍、42ヘクタールあります。ここに1700年間、縄文人が住んでいました。海と山の幸に恵まれて、よっぽど住みやすかったんでしょうね。ちなみに、ここから海までだいたい4キロあるんだけど、縄文時代は今より温暖で、氷河期が終わった後で氷が解けて海水面がもっと高かったから、海まで2キロぐらいだったという説もあります」
温暖化で地球の危機と叫ばれている現代よりも縄文時代のほうが暖かかったなんて、いきなり意外! さらにビックリしたのは、1700年も人が住んでいたのに、弥生時代には人が消えて、このエリアに再び人が住み始めるのは、平安時代。世界には栄華を極めた後、「忽然と消えた」と言われるマヤ文明やシュメール文明があるけど、三内丸山遺跡にいた縄文人はいずこへ? 青森市のホームページにはいくつか説が挙げられているけど、「今のところ結論は出ていない」。
ちなみに、江戸時代には三内丸山遺跡の存在が知られていて、当時の文献にも遺跡の存在が記されている。そんな昔から「ここにはなにかある!」と知られていたのに、大規模な発掘が始まったのが1992年(平成4年)。
「平成4年、ここに県営の野球場を作ることになったんです。それで、作る前に発掘調査をしたら、予想以上に大きな集落とわかってきて、3年後、県が野球場を作るのをやめたんです。もし野球場の話がなかったら、いまだに発掘されていなかったかもしれません(笑)」
え、縄文最大級の遺跡が見つかったのは、偶然の賜物だったの!? 野球場を作るつもりだった人たちにとって、まさかの展開だよね。