沢を渡ってさらに登ると、やっと大煙突が見える展望台に着いた。
この大煙突が建てられたことで、煙害が減少し、鉱山の銅の生産の増加も実現した。また日立鉱山では煙の流れを調べるために明治42年(1909年)から気象観測を始めていた。これが日立の独自の気象観測の始まりだ。
その翌年には神峰山の山頂に観測所を設け、さらに大正3年(1914年)には鉱山周辺に19カ所の気象観測所を設置し、それらを有線電話でつないで、気象観測と煙の流れを監視したのだという。ちなみに現在のつくば市に高層気象台が誕生したのが大正9年(1920年)。それよりも前に日本初といわれるシステマチックな高層気象観測を行っていたというのだから驚きだ。
百年前、一度は枯れ果てた山々が蘇った日立。これは近代産業の発展に伴った大規模な公害を、市民と産業側が一体となって対策を行い、解決した世界でも数少ない事例として知られており、今でも日立のシビックプライドとして語り継がれているのだという。
やがて煙害はほとんどなくなり、鉱山の気象観測を引き継ぐ形で昭和27年(1952年)に「日立市天気相談所」が誕生したのだという。日立市民の生活に欠かせない存在となっている、市役所の中にある「天気相談所」は、実は100年もの気象観測の歴史を積み重ねて機能している機関だったのだ。ちなみにいまでも日立市の桜の開花宣言は、日立市天気相談所が独自に行っているのだという。
さて大煙突からまたアップダウンのある山道を歩くことしばらく。ついに羽黒山頂にたどりついたのであった。これでやっと二つ目の頂を制覇! 残るはあと一つ、オオシマザクラの絶景が見わたせる、そしてかつて測候所があったという神峰山。そこで天気相談所の元所長、冨岡啓行さんが待っていてくれることになっていた。