日立にはかつて日本3大銅山にもかぞえられる「日立鉱山」があった(現在は閉山)。江戸時代から知られていた鉱山の銅の産出量は日本有数を誇り、銅から発展した産業は明治維新以後の日本の近代化、富国強兵にもつながっていく。日立製作所ももともとは日立鉱山のなかで、銅を掘削するためのさまざまな機械を作る工場としてはじまり、第二次世界大戦を挟むものの、やがてこの街とともに世界的な電機メーカーとして発展していくのである。
しかし銅の精錬には亜硫酸ガスという有毒ガスが発生する。銅の産出が増えるほどに、日立の山々はこの煙害によって植物が一切育たなくなり、明治時代の終わりには、山々は見るも無残なハゲ山となってしまった。農業もできなくなり、煙害による健康被害も広がった。
そこで日立の一人の青年が立ち上がった。その青年、関右馬允(せきうまのじょう)は鉱山と交渉し、鉱山は人々のために公害を減らし、山の自然環境を元に戻すことを約束したのであった。
そして大正3年(1914年)、山のなかには、当時の技術力を駆使して、東洋一ともいわれた巨大な煙突が建てられた。亜硫酸ガスを高所で拡散できるようにコントロールするためだ。これこそがいまも山中にそびえ立つ、日立のもう一つのシンボル「大煙突」である。
同時に、枯れ果てた山を元に戻すために煙害に強い植物が研究され、ヤシャブシ、ヒサカキなどが次々に植えられた。オオシマザクラもそのひとつだったのだ。オオシマザクラはその名の通り、伊豆大島が原産で、火山の煙にも枯れないことで知られていたのである。百年を経てなお日立アルプスを覆うオオシマザクラの風景は、日立の山が蘇ったことを象徴するものであったのだ。
そんな話を聞きながら、大煙突が見える展望台に向かって山道を進む。「大煙突」はハイキングコースからでは、まだ見えない。
ところで豆知識をもう一つ。
「オオシマザクラって、桜餅の原料なんですよ」と田上さんは言う。
ええー、ほんと? どれどれ! とみんなで桜の花を嗅いでみると、なるほど桜餅と全く同じ、美味しそうな甘い良い香りがするではないか! 桜葉漬、つまり桜餅のあの葉っぱは、ほぼオオシマザクラの葉で作られているのだという。