このワークショップからしばらく経ったある日、事態は思わぬ方向へと動き出した。
スミスが日立で撮影した写真の重要性、大森さんの研究調査、そしてスミスの写真を「地域資料」としても捉え直そう、という私たちの取り組みを高く評価してくれる人たちが現れたのだった。
それは大森さんの母校・茨城大学と、ほかでもない日立製作所の人たちだ。
実は茨城大学では日立製作所と協働した連携プロジェクトが行なわれている。前述のワークショップには、そのプロジェクトメンバーである茨城大学人文社会科学部の西野由希子教授が参加していた。
連携プロジェクトのなかで、西野教授が郷土ではすっかり忘れられているスミスの日立での写真撮影について、話題にしてくれる機会があったそうだ。そして他のメンバーたちからも「スミスの日立での撮影についてもっと知りたいね」という話が出たという。
そして冬のある日、西野教授から私のもとへ「大学で『Japan ... a chapter of image』を購入しようと考えているから、ぜひ協力してほしい」という連絡がきたのだった。驚いた私は、すぐに大森さんに連絡を取り、西野教授と大森さんをつなげることにした。さっそく都内の有名な古書店を幾つか調べて、最も状態が良いと思われるものを、大森さんと西野教授とで選んだ。私が「できるなら写真集本体と『Hitachi Reminder』との2冊のセットでお願いします!」と口を挟んだのは言うまでもない。
そしてつい最近、茨城大学に収蔵され、人文社会科学部の西野研究室にスミスの写真集『Japan ... a chapter of image』と『Hitachi Reminder』が配置されたのであった。
60年の時を経て、母校に2冊のスミスの写真集が収蔵されたことを、大森さんが喜んだのは言うまでもない。これからこの写真集を市民に還元できる文化財として研究し、活用していこうという私たちの取り組みが、茨城大学や大森さん、そして日立製作所など日立の地域活性に関わる人たちの間で、今まさに始まろうとしているところなのだ。