わたしは「場」の力を信じるほうだ。
それぞれの場所には、そこで生きてきた人たち、過ごした時間の記憶が宿っているように感じる。だから、もし今回、別の宿に泊まっていたら、また違うものを書いたことだろう。多くの先人たちが、祈りにも似た切迫感、そして書けるか書けないかといった狂気や喜びのなか、必死に作品を生み出していった。その事実と記憶が、わたしをひとつの方向に導いてくれた。
そこでしか書けないものがある。
そう信じる人がいるからこそ、いままでも、そしてこれからも「物書き宿」は存在し続ける。
さきほど、樹木希林さんの遺作となった『命短し、恋せよ乙女』について書いたが、希林さんはなんと50年前にもこの茅ヶ崎館を訪れている。初訪問は小津監督の遺作となった『秋刀魚の味』(1962)のときで、当時の希林さんは女優・杉村春子さんの付き人だった。
希林さんにとって人生の中で思い出深い場所だったからだろう、『命短し、恋せよ乙女』の撮影を終えたとき、手書きのメッセージをスケッチブックに残している。
ドイツの監督ドリス・デリエさん一行、皆茅ヶ崎館に想いがあって――
しかし保存は困難です。ひたすら願うばかりです。
樹木希林
「この建物を維持するのが大変だと言うことをわかっていたのでしょうね」と女将さんはしみじみと言う。
というわけで、さあ次はそこにいるあなたの番ですよ。
ブログを書くもよし、長年温めてきた小説を完成させるもよし。映画の構想やビジネスプランを練るもよし。
この館が持つ大いなる力を借りながら、名作を生みだそうではありませんか。
ええ、もちろんわたしが書いたものが名作かどうかなんてわかりませんが、それはまた別の話。
伝説の「二番」のお部屋は、今日も誰かを待っている。